藤田は渡仏当時パリで隆盛していた挿絵本の画家として確固たる地位を築いた。旺盛な制作欲で挿絵をはじめとして数多くの作品を世に送り出した藤田嗣治の世界を覗いてみた。
道立近代美術館の今年の秋の特別展は9月15日~11月11日まで(明日まで!)「藤田嗣治と愛書都市パリ」~花ひらく挿絵本の世紀~と題して開催されている。
二つのミュージアム・コンサートを聴いたこともあり、遅ればせながら7日(水)特別展に足を運んだ。
私にとって美術作品は「猫に小判」的なもので、藤田の絵の価値を評することなどとてもできない。
そこで絵を評するというよりは、私なりに感じたことを記して特別展のレポートとすることにする。
まず、藤田の絵というと繊細な線画が特徴の一つである。今回の特別展でももちろんそうした絵が目立ったが、その中でも乳白色の裸婦像は、のちに「すばらしき乳白色の地」と絶賛されたということだ。
※ 藤田の出世作の一つとなった藤田独特の乳白色の裸婦像です
次に感じたのは子ども像であるが、その顔の描き方が独特であった。一人の画家が描くのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、その共通する独特の描き方は何がそうさせたのだろうか?
※ 藤田は子どもの作品も多いのだがその顔の描き方に特徴があるように思えた。
また、藤田がパリで著名になってから日本及び東洋の人物や風物を手掛けた時期があったようだ。以前外国の教科書(ベトナムだと記憶しているが)に日本の風俗を紹介している絵に違和感を覚えたことを記憶していたのだが、その絵が藤田の絵と似ているように思えたのだ。あるいはフランスの植民地だったベトナムにおいて藤田の絵が使われたか、影響を与えたのではと推理するのは妄想と言われるだろうか?
※ 藤田が描いた日本や中国の題材にした作品です。
パリの美術界において一時代を画した藤田嗣治であるが、その出発点となった挿絵本は当時パリにおいては冊数が限定発行の貴重品だったようだ。実物も何点か展示されていたが、その中には装丁が豪華なものもあり、その中に収められている挿絵も含めて本全てが芸術品として珍重された時代だったようだ。
※ 藤田の自画像です。掲載した絵はいずれもウェブ上から拝借しました。
そんな藤田であるが、彼自身の一生は二つの大戦の中で翻弄され日本とフランスの間を行き来したり、日本の画壇から阻害されたりしたうえで、最後は日本国籍を捨てフランス国籍を取得するという激動の一生を送ったようだ。
いろいろな経緯があり、藤田の作品展が開かれるようなってからはまだ日が浅く、2006年の東京国立近代美術館がその最初だという。藤田が日本で正当に評価されてからまだそれほど時は経っていないということのようだ…。