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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

沢木耕太郎 キャパの十字架

2013-03-07 22:59:22 | 本・感想

 沢木はキャパが撮ったという一枚の写真の謎を解くために3度もスペインを訪れた。そればかりではなく、パリやニューヨークまで足を運んでいる。それは沢木にとって執念の一冊だったと云える。 

 話題に事欠く今、懲りもせず再び書評とは言えない文章を試みてみることにする。今日、沢木の最新刊「キャパの十字架」を読み返してみた。

               

 スペイン内戦から第二次世界大戦にかけて一世を風靡した戦争写真家ロバート・キャパ。
 そのロバート・キャパが世に出るきっかけとなったのが、スペイン内戦において共和国軍の民兵が反乱軍の銃弾に当たって倒れる瞬間を捉えた「崩れ落ちる兵士」というキャプションのついた一枚の写真だった。
 写真がアメリカの写真週刊誌「ライフ」に掲載されたことで、キャパは一躍時の人となり、その写真はスペイン共和国が崩壊したとき、共和国のために戦った兵士たちの栄光と悲惨を象徴する写真として長く世界中に知れ渡ることとなった。

 その写真が「本当に銃弾に倒れた兵士を写したものか?」という疑問が一部では長く囁かれていた。しかし、写真が時代を捉えた有名な一枚であったこと、キャパ自身が何も語らずにすでに亡くなっていたことから、そのことは不問に付されてきた。
 ところが近年になって、その「崩れ落ちる兵士」と一緒に撮影した多数の写真が公表されたことによって俄かにその真贋論争が活発になってきた。

          
          ※ キャパの名を一躍世界に認めさせることになった「崩れ落ちる兵士」の写真です。

 沢木はリチャード・ウィーランによるキャパの伝記「ロバート・キャパ」の日本版翻訳を担当し、「キャパ その青春」「キャパ その死」を著したことから、その写真の真贋問題を知ることとなる。そこへ関係する多数の写真が出現したことにより彼の探求心に火が付いたという。
 それからの取材というか、真実を追っての沢木の執拗なまでの追求の様は驚くばかりである。そこに私は「自分が追求し、辿り着いた結論には何人にも疑問を与えないものを提示する」という彼一流の流儀を見た思いがする。
 そして彼が得た結論とは…。
 ①「崩れ落ちる兵士」の写真はセロ・ムリアーノではなくエスペホで撮られたものである。
 ②「崩れ落ちる兵士」の写真は銃弾によって倒れたのではない。
 ③しかし、「崩れ落ちる兵士」はポーズを取ったわけではなく、偶然の出来事によって倒れたものと思われる。
 ④そのことは「崩れ落ちる兵士」の写真とほぼ同じタイミングで、異なる地点から撮られた「突撃する兵士」の写真によって確認できる。
 ⑤その場には、二台のカメラがあり、二人のカメラマンがいた。
 ⑥低いところから、目の前を走り抜ける人物を撮ろうとするカメラにふさわしいのはライカである。
 ⑦「突撃する兵士」はライカでキャパが撮った可能性が高い。
 ⑧とすれば、「崩れ落ちる兵士」はローライフレックスでゲルダが撮ったということになる。

 ここまで結論付けながらも、沢木はさらに確証を得るためにスペインの現地を訪れ、新たな発見を加えて自らの結論を揺るぎないものとした。
 その結論は沢木にとってあるいは辛い結論であったのかもしれない。というのも、沢木にとってキャパは写真家としての腕を認め、人間としての魅力も感じていたように思われるからだ。
 だから「キャパの十字架」は写真の真贋追求だけで終わらない。キャパがその後第二次世界大戦時のノルマンディー上陸作戦に従軍し「波の中の兵士」という「崩れ落ちる兵士」を超える傑作をモノにしたことを書き記すことを忘れなかった。

 「キャパの十字架」を読み終えて、私は今までの沢木の文体とやや違った印象を受けた。それは沢木が一枚の写真の真贋を追求する過程を入念に、そして淡々と書き進めているように思われた。そこに彼の文章を評するダンディズム的な文章表現は見られなかった。いや、コトの真実を追求する様を入念に、淡々と書き記すこと、そのことが沢木流のダンディズムだったと云えるのかもしれない。