北のシネマ塾ではいつもは北海道に関する劇映画を取り上げるのだが、今回は2000年にNHK北海道が制作した「映像でつづる北海道の20世紀」を取り上げた。ゲストスピーカーの小檜山博氏の独特の世界観を聴いた。
今月のシネマ塾は3月16日(土)午後、いつものようにさっぽろ芸術と文化の館内の北の映像ミュージアムで開催された。ゲストスピーカーは作家であり、ミュージアムの館長でもある小檜山博氏が務めた。
「映像でつづる北海道の20世紀」を取り上げたのは小檜山氏が番組の案内役を務めたことも理由の一つのようだが、小檜山氏の現在の問題意識とも関わりがあるようだった。
映像は前・後編併せて1時間30分に及ぶ大作だった。現存する映像資料を総動員して北海道の歴史を辿るものだった。
小檜山氏は冒頭、北海道の歴史を振り返り、もともとアイヌの楽園だった北海道に和人が踏み入ってから、北海道は石炭、食料と常に中央にとって都合の良い土地であった。そして今またTPP問題において北海道農業は犠牲を強いられていると…。
小檜山氏は日本の文学上の問題として、①沖縄・琉球の問題、②被差別(小檜山氏はエタと称した)の問題、③アイヌ、北海道開拓の問題、の三つの問題が存在するという。つまりそれらの地域、人々が中央から虐げられてきた存在として文学上の問題だという意味なのだと解釈した。
一方で小檜山氏は、北海道の開拓時代に来道した我々の祖先は次男、三男が多かった。ということは本州の因習が持ち込まれず、封建制が育たなかったという。また、北海道の開拓にお雇い外国人が来道し自由と平等の思想を伝播したのも大きいという。
かくて北海道には自由と平等の気風が育ち、女性は自立し、進歩的な考え方が広まっていると分析する。
最後に「網走のばっちゃん」として網走市民の誰からも愛された中川イセさんのことをエピソードとして取り上げ、山形県人である中川さんが小檜山氏に「私は北海道人だ」と語ったという。これは中川さんが悲惨な生い立ちから、戦後初の女性市議として網走のために大活躍できたのも風習や因習にとらわれることなく、差別や封建制とも無縁の北海道だったからこそ実現できたという思いが強いのだろう。
小檜山氏は云う「北海道の人の心は日本一」だと…。
頑張らせてくれる風土、支え合う風習、そして多くの地方の血が交ざっていることなどが好循環となって、80年後には全ての分野のリーダーは北海道から産み出されるだろうと予言したい、と締め括った。
初めは重たい話しかな?と思ったが、小檜山氏も生粋の道産子である。北海道を愛し、北海道に寄せる思いが人一倍強いことを教えられた今月の「北のシネマ塾」だった。
※ 今回の写真は私も撮ったのだがフラッシュを使えないため小檜山氏の顔が黒くなってしまった。そこで、窮余の策として「北の映像ミュージアム」のスタッフブログから拝借したことをお断りしておきます。