田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北海道低山紀行 44 羊蹄山 “苦闘”登山記 後編

2014-09-04 23:45:41 | 北海道低山紀行 & Other
 5時間半をかけて外輪山に辿り着いた私たちは、昼食を摂った後に本当のピークの1,898m地点を目ざした。すると!山の神は私の悪戦苦闘ぶりを空から眺めていたのであろうか?それまで覆っていた雲を取り払ってくれたではないか!私たちは山頂付近から下界の景色を堪能することができたのだ!


 〔真狩コース〕からの外輪山に辿り着いたところ、ピークに至る経路が二つ用意されていた。それは〔岩場経由〕コースと〔旧小屋跡経由〕コースの二つである。
 岩場経由の方がやや険しいとあったが、当初私はそちらを目ざそうと思っていた。しかし、私の疲労ぶりを見た息子が旧小屋跡コースを提案したので素直にそれに従った。
        
 分岐点から20分ほど登ったところにコンクリートの基礎部分が残る旧小屋跡に至った。何組かの登山者が休憩したり、昼食を摂ったりしていた。時計は11時40分だった。私たちも早めの昼食を摂ることにした。
 私一人だけの登山ならけっして持参しなかったであろう、ガスコンロ、コッヘル、水を息子が背負ってくれたために、山上で温かいカップ麺、コーヒーに舌鼓を打つことができた。

          
          ※ 私たちが昼食を摂った旧小屋跡です。コンロの火を使うのに適していました。

 食事の準備をしていたとき、息子が「倶知安の街が見える!」というので、その方向へ行ってみると、雲が切れてその下に倶知安の街が広がっていた。山の神(?)に感謝です。

          
          ※ 雲が切れて、倶知安の街がきれいに見えました。

 40分の昼食休憩後、再びピークを目ざして行動を開始した。
 行程はそれほど難しくはなかった。外輪山の尾根を辿っているとき、やはり眼下に京極町、そして遠くに喜茂別町の町並みを見ることができた。これは負け惜しみではあるが、ベースを速めて登った人たちはあるいは雲に隠れて見えなかった景色かもしれない?

          
          ※ このような外輪山の登山路をピークに向かって登り続けました。

          
          ※ ピーク近くになると写真のような岩場も出てきます。

          
          ※ ピークに向かっている途中、眼下に京極町の街並みを眺めることができました。

          
          ※ 遠くには雲間から喜茂別町の街も!ラッキーでした!

 山頂間近のいくつかの岩場を越えて、ようやく羊蹄山山頂に到達した。そのとき時計は13時ちょうどを指していた。山頂では標識のところで記念写真を撮る人たちが列をなしていた。私たちもその後に並び、無事に記念写真を撮り終えたのだった。
 このとき、山頂付近は黒い雲に覆われ、しかも逆光のために顔の表情がまったく見えない記念写真となった。

          
          ※ ピーク直前に写真のような岩も現れました。

               
               ※ 羊蹄山山頂(1,898m)の標識です。

 頂上は狭く、しかも風も付いてきたようだったので僅か10分の滞在で下山を開始することにした。
 その方向なのだが、当初は険しい岩場経由を回避して、元来た経路を引き返す予定だったのだが、どちらからともなく「岩場経由コースを行ってみよう」ということになった。体は疲れていたが、慎重にコースを選定すれば大丈夫という思いがあった。

          ※ 岩場経由コースは写真のような岩場の連続でした。

          

          

          

 なるほど岩場コースはかなり険しいコースだった。片や火口がぱっくりと口を開いている。片や裾野から切れ落ちている稜線の急斜面の間の岩場を慎重に歩を進めた。
 ひと時も気を許すことなく行動すること40分、元の〔真狩コース〕の分岐点に着いた。
 この時13時50分、10分間の休憩を取り、14時本格的な下山開始となった。

 この日の日の入り時刻を18時前後として、遅くとも17時半くらいまでには下山を終了したい。暗い中での下山はごめんである。
 すると登りに5時間35分かけたところを、下りを3時間30分で下りなければならない。
 私はひたすら下山することに集中した。しかし、疲れた身体ではスピードが上がらない。岩場や急斜面を下るときは脚の筋肉が疲労していることを自覚しているため、どうしても慎重になる。後続の登山者たちに次から次へと置いていかれた。私の後ろをサポートする息子も気が気でなかったに違いない。
 疲労はピークに達し、肩で息をするどころか、全身で息をしているような状態だった。
 写真も一枚も撮らなかった。ただ、各号目の標識に至ったときは参考のために時間だけはメモした。

 下山に集中した、というより疲労困憊の中では、下山中のエピソードはほとんどない。ただ唯一、疲労していたことが引き足を上げるのが十分でなかったためだろう。急斜面の岩場で引き足が岩に引っかかり転倒をしてしまった。幸い、脚と手にかすり傷を負った程度で済んだが…。

 疲労困憊の中で悪戦苦闘すること3時間40分、なんとか暗くなる前に登山口に辿り着くことができた。
 朝、登山口を後にしたのが5時40分、そして登山口に還り着いたのが17時40分、私たちはこの日12時間行動していたことになる。この間、昼食時間を含めて合計1時間4~50分は休憩に充てていたと思われるので、実行動時間はおよそ10時間半程度ということになる。
 私にとっては過去に記憶がないくらいの長い行動時間である。(富士山登山の時も一日でこれほどの行動時間はなかった)
 このことによって私は思ってもみなかった代償を負うことになってしまった。

 しかし、このときはまだ深い疲労感と達成感に包まれながら息子の運転する車で自宅へと急いだのだった。
                         (代償のことについては明日レポートすることにします)