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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

アイヌ民族の悲哀を学ぶ 

2014-09-13 22:02:09 | 講演・講義・フォーラム等
 アイヌ文化は開拓使によって否定されたと講師の岡田氏は指摘する。また、北千島で狩猟生活を送っていたアイヌたちは明治政府の思惑によって住む地を転々とさせられるなど翻弄された歴史があると講師の麓氏は指摘した。アイヌ民族が辿った悲哀の歴史を学んだ。 

 少し期日が経ってしまったが、アイヌ文化振興・研究推進機構が主催する「アイヌ文化普及啓発セミナー」の後期講座が8月25・26日と開講され、受講する機会を得た。
 講座は25日が「道内の大学生がアイヌ民族の文化・歴史を学ぶ意義」と題して、岡田路明苫小牧駒澤大学国際文化学部教授が講師を務めた。
 26日は「千島列島のアイヌ民族史」と題して、麓慎一新潟大学教育学部教授がお話された。

 岡田氏は冒頭、文化は時代に合わせて変化し続けるものであるとした。ところが、アイヌ文化は明治以降の和人の流入によって、アイヌ文化として変化ができなくなったという。変化できなくなったどころか、明治政府の開拓使の手によってアイヌ文化は否定されたと指摘した。
 文化を否定することは、その文化で生きる人々を否定することであるとし、そのことでアイヌ民族は人として生きる誇りを持てなくなった、と岡田氏は分析する。

 異文化を理解すること、このことは現代を生きる人々にとって必要不可欠な資質だという。
 そして異文化を理解するためには、氏は「教育」が大切であると主張する。
 氏は自らの主張の実践の場として苫小牧駒澤大学でアイヌ文化を教えているという。
 氏の話はまだまだ多岐に渡ったのだが、紙巾のこともありこのくらいと止めることにする。

            

 新潟大学の麓氏は長い間、千島列島のアイヌの歴史を研究しているという。
 氏の主な研究範囲は日本とロシアが明治2(1875)年「千島樺太交換条約」を締結した後のアイヌ民族の歴史がその研究範囲である。
 氏の研究によると、交換条約が締結され千島列島が日本の領土と確定した後、時の明治政府は千島列島の北(シュムシュ島、ホロムシロ島)に居住していたアイヌ人を現在の北方四島にあたるエトロフ島、シコタン島への移住を勧めたという。その理由はアイヌ人たちがロシアの影響(特にロシア正教)を強く受けていることに対する警戒感からだった。
 半ば強引に移住させられたアイヌ人たちに日本の仏教に帰依するような慰撫政策をとるのだが、一度ロシア正教を信じたアイヌの人たちを改宗させることは難しく、失敗に終わった。それはやがてアイヌ人たちの帰島へと繋がり、ほとんどのアイヌ人は元々居住していた島に帰ったという。

 千島列島のアイヌ民族史も先の岡田氏の講義と通底するところがあると思うのだが、明治政府のある種強引な施策の数々は、全て後から北海道や千島列島にやってきた和人の立場からのものであり、アイヌの人たちの思いや願いをほとんど顧みないものであったようだ。
 そのことに対し、敢えて私たちの祖先である和人の立場を擁護するとすれば、時代がそうした時代であったということは言えそうだ。世界の先住民族が同じような苦汁を舐めている事実がある。
 しかし、だからといってそうした施策が許されていいわけがない。そうした過去を謙虚に振り返り、真摯に反省することが子孫である我々には求められているのだと思う。
 アイヌの人たちの悲哀を学んだ貴重な二日間だった。