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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北海道低山紀行 44 羊蹄山 “苦闘”登山 膝痛顛末記

2014-09-05 15:41:45 | 北海道低山紀行 & Other
 12時間もの行動を余儀なくされた羊蹄山登山は、思ってもいなかった代償を私に突き付けた。翌日は筋肉痛を感じながらもラグビー観戦に出かけることができたのに、その翌朝になると膝痛のために単独歩行もママならなくなってしまった…。

           

 
 いったいどうしたというのだろう?
 羊蹄山登山の翌々日の朝、ベッドから起き上がろうとすると、左膝に激痛が走り、起き上がることができない。
 それでも激痛に耐え、用便を済ませたり、食事をしたりしたのだが、普通の生活はとても無理だ。痛む部分に湿布をし、回復を願って一日中横になっていた。

 しかし、翌日になっても事態は好転しなかった。
 それでも私はまだ自然回復を信じて、その日も一日横になって過ごした。
 気分は最悪である。恥ずかしい事態は隠しておきたかったが、堪らず「ピンチ!」と題するブログを投稿してしまった。

 激痛が走ってから三日目の朝、事態は良くなるどころか、さらに深刻度を増していた。これはもう「病院の診察を受けねば…」と、さすがの私も観念した。
 ブログに投稿したことから、コメントやメールで友人たちからも整形外科での診察を受けることを勧めてくれた。ある友人は痛みが発症してから時間を置いたことで手術をしたという。これには私もドキリとした。
 以前、別の部位で診察を受けたことのある桑園整形外科の東院長が膝関節の治療ではかなり高名であることを知っていたので、連絡を取ったところ、不運にもその日は東医師の診察日ではなかった。受付担当も翌日の受診を勧めてくれたので、一日待つことにした。

 四日目の朝、一人ではとても動くこともできないので妻の同行を願い桑園整形外科の門を潜った。
 さっそく、患部である左膝のレントゲン写真とMRI画像の撮影である。MRIの撮影時間が30分超もかかったことには閉口した。

 診察である。
 まず、レントゲン写真を見て、東医師は「経年(老化)によって大腿骨と脛骨の間が狭くなっている」と指摘した。さらに、「膝蓋骨(ひざの皿)のところに骨棘ができている」と指摘した。これも経年によるものとのことだった。
 次にMRI画像をしばらく見ていて、東医師は「あっ」と言って「内側の靭帯が一つ無くなっていますね。今回ではなく、過去に何かありませんでしたか?」と問われたが、その時は特に記憶が蘇ることはなかった。

 東医師はまったく冷静だった。そしてこう述べた「今後は羊蹄山登山のような過酷な登山は無理ですね。どうしても登山を楽しみたいというなら、近辺の小さな山で楽しんでください」と…。
 つまり東医師の見立てでは、今回の膝痛は劣化(老化)した膝を長時間酷使したために発症したもので、いわゆる炎症というものだった。そして、痛み止めの錠剤と湿布薬を処方してくれた。

 診断結果にホッとしたのが正直な気持ちであるが、一方でこれまでのような楽しみを奪われることへの寂しさも感じた一瞬だった。
 後から記憶を辿ってみると、私がまだまだ若かった頃、体育のスケートの授業で子どもとの衝突を避けようとして左膝を氷面と激突し、膝に水が貯まり、その水を抜いた経験があった。また、今回の下山時にも良く考えると左膝で体を支えようとしたときに安定できない場合が多々あったことを思い出した。

 その後、処方された薬を飲み、湿布薬を施した結果、昨夕から痛みが薄らぎ、今日になると痛みはほとんど感じなくなった。ただ、歩くにはまだ不自由を感ずるところがあるが、回復に向かいつつあることを実感することができて嬉しいかぎりである。
 体のほんの一部分である膝の不具合で、日常生活がまったく不自由になることを体験し、あたりまえのことであるが健康であることの大切さを痛感させられた一件だった。と過去形で語るにはまだ早いのだが…、一件落着も間もないことをお伝えしたい。
 私の状況を心配してくれたほんの少しの皆さん、ご心配おかけしました。

 体の老化は粛々と受け入れるしかないのかもしれないが、心の方の老化はできるかぎり阻止するよう努めたいものである。