たっぷ大橋 ~ 月形大橋 トレッキング月日 ’15/03/01
直線距離にしておよそ14キロ。私の右手に見える石狩川はどこまでも穏やかだった。川はまるで鏡を敷いたかのような水面が辺りの景色を映し出していた。風はなく、雪面は固く絶好のコンディションの中でスノーシュートレッキングを楽しんだ。
※ この日のスタート地点となった「たっぷ大橋」の袂です。水面が鏡のようになっています。
3月1日(日)今シーズン3度目の石狩川河岸を遡行するスノーシュートレッキングを行った。
旅から帰った後、何度か実施しようと計画したのだが、天気が思わしくなかったり、私のコンディションがイマイチだったり、予定したスケジュールがあったりして、なかなか実施できないでいた。
3月1日、天気予報もまあまあ、予定もない。「実施しよう!」と決心した。
今回は、前回の続きで〔川下集落~たっぷ大橋〕までの区間が予定区間だったのだが、土日は新篠津村内を巡るコミニュティーバスが運休となる。これでは川下集落のスタート地点に立てない。
そこで、以前からこのプロジェクト(?)の中で難しい関門の一つと考えていた次の区間となる〔たっぷ大橋~月形大橋〕間に白羽の矢を立てた。
というのも、私の場合は一区間7~8キロ程度と無理をしない距離でスノーシューを楽しもうと考えていた。ところが、新篠津村から月形町までは適当な中継ポイントがなく、一気に約14キロを往かなくてはならず、どうしたものか?と考えていたのだ。
そこで、今までは採用していなかった手段を取ることにした。それはスタート地点まで息子に車で送ってもらい、できるだけ早い時間にスタートすることによって14キロをなんとかクリアしようと考えたのだ。
息子に問うたところ、特に予定もなかったのか二つ返事で快諾してくれた。
ここで誤算が生じた。私の計画を知った妻が、これまでは私のプロジェクトに無関心だったのに、急に一緒に行くと言いだした。男二人で親子の会話をと思っていたところにとんだ邪魔が入ったと思いながらも、妻も多少は関心を持ってくれているのかと思うと、悪い気分ではなかった。
当日、私は日の出時刻(この日の日の出時刻は午前6時12分)にはスタート地点に立とうと思い、自宅を4時30分に出て、息子を拾い、午前6時過ぎにスタート地点となる「たっぷ大橋」のたもとに着いた。
スタート地点でスノーシューを装着し、さっそくスノーシュートレッキングを開始することにした。時間は6時18分。ちょうど雲間から朝日が顔を出すところだった。
いつもは一人でスタートを切るところだが、この日は妻と息子に見送られながらのスタートである。なんだか面映ゆい気持ちと、楽しくも辛い雪上ウォークが待っていると思うと、複雑な気持ちのスタートだった。
妻と息子は私を見送った後、そのまま帰宅した。私は月形からJRで帰宅する予定だった。
※ 息子に撮ってもらった初めてのスノーシュートレッキングの写真です。
スタートを切ったとたん、「これはラッキー!」と思った。なぜなら雪面が固くなっていて、スノーシューがほとんど沈まないのだ。 「これは思っていたより楽なトレッキングになりそう」と思いながら、石狩川の川面に近づいた。
石狩川はまるで流れのない湖のように静かに佇み、鏡のように辺りの景色を映し出していた。心地良いスタートだった。
※ 写真のようにスノーシューの跡が残るだけで、まったく沈まない固い雪でした。
ところで、私が帰宅してから妻が言うには、帰りの車の中で「父はどうしてあのようなことをしているのか」と呟いたという。私の「冬の石狩川河岸を遡る」シリーズをご覧の方の中にもいぶかる人が少なからずいらっしゃるのではと思う。
いずれそのことにも触れなければと思っていたので、レポートは明日以降に廻し、そのことについて少しふれておこうと思う。
私の「冬の石狩川河岸を遡る」スノーシュートレッキングは、一言で言ってしまえば私自身の「冬の遊び」なのである。その冬の遊びにちょっとだけテーマを添えてみた、ということなのだ。
冬の遊びといえば、代表的なのがスキーである。私は現職時代スキーに熱中した。
全日本スキー連盟の指導員の資格も取得し(これが書きたかったぁ!?)、冬になるとスキー指導のボランティアに土日は忙殺された。北海道の主なスキー場は全て滑り、2度の海外スキーも体験し、スキーについては「やりきった感」があった。
リタイアしてからスキーに行っても、ちっとも楽しく感じないのだ。そのようなときにスノーシューに出会った。
スノーシューが「楽しい!」と思えたのは、雪の上ならばどこへでも自由に歩き回れることだった。スノーシューの醍醐味を最も味わえるのは冬山である。しかし、私には冬山は怖いイメージがあって手(足)が出せない。
どうしたものか?と思っているとき浮かんだのが「そうだ!川岸を歩くのなら迷うことない」、「河原を歩いてスノーシューを楽しもう!」と思い立ったのだった。
思い立ったら即実行。私は豊平川の河岸を遡行することにした。
2011年2月6日、私は豊平川が石狩川に注ぐ、豊平川河口に立った。
それから翌2012年と2年間にわたり、5日間に分けて私は定山渓温泉までの約50キロの行程を歩き終え、ある種の充足感に浸った。
その時点で石狩川など私の範疇にはなかった。まったく規模が違う。
2013年のシーズンは石狩浜を歩いたり、迷う心配のない市民の森を歩いたりしたが、なんとなく悶々としたものが残った。
昨年、2014年シーズン、まったく考えてもいなかった石狩川だが、ダメもとで行けるところまでやってみようか?と思い立った。
昨年3日間、危ない場面があったり、体力的に厳しいところがあったりしたが、3日間で河口から新石狩大橋まで、直線距離にして約20キロを踏破した。
そして今年である。
どこまで行けるか分からない。石狩川は果てしなく長く遠い。歳も老いてきた。
いつまでできるか分からない。誰に強制されたわけではない。誰と約束を交わしたわけでもない。いつでも尻尾を巻いて退散する心づもりである。
何といったって、私にとっては「冬の遊び」なのだから…。
2015年シーズン、第3日目のレポートは明日以降に報告することにします。