ハンガリーのアイカという地域が大規模災害に遭ったことを知っていますか?私は寡聞にして知らなかった。被災に遭ったアイカ地区はいち早く立ち直ったという。それは今なお復旧が遅々として進まない福島の参考になるのではないか、と講師の家田氏は説いた。
3月4日(水)夜、本年2度目となる「遠友学舎炉辺談話」が北大遠友学舎で行われ参加した。この日は北大スラブ・ユーラシア研の家田修教授が「福島、チェルノブイリ、アイカを地域とグローバルな視点から考える」と題して講演をされた。
福島、チェルノブイリ、アイカに共通するのは、いずれも大規模災害に見舞われた地である。福島、チェルノブイリの災害については言わずもがなであるが原発事故に遭った地域である。
一方、アイカはハンガリーにあって、2010年10月にハンガリーのアルミニウム製造工場から廃液の赤泥が大量に流れだし、周辺の町や村が1~2mにも達する赤泥に飲み込まれ、多くの車や家屋が押し流されたそうである。赤泥には重金属や強塩基など毒性および腐食性の高い物質が含まれていたこともあり、死者10人、負傷者300人以上という大惨事になったという事件である。
家田氏のこの日の講演の趣旨は、災害復旧の在り方についてであった。
家田氏は災害復旧にあたっては、「被災者一人ひとりの救済」が重要ではないかと説いた。
チェルノブイリの場合は、もともと周辺はポレシア地方と呼ばれ、住民はポレシア方言を話していたそうだ。それが事故によって住民たちは四散したため、避難先から方言が失われるというという危機になったそうだ。方言を話せないことが住民たちの間にストレスを産むことになったが、言語学者たちが方言の蒐集活動で聞き取り調査をする中で、住民たちの心が癒されていったという。
避難者たちは放射能被曝に加えて、故郷の喪失という二重のストレスからわずかではあるが解放されていったようだ。これは「心の救済」の例である。
一方、ハンガリーのアイカの場合は、事故後ハンガリー政府がいち早く被災者住民の住宅の再建に取り組んだことである。事故から一年以内に、集団移転で111世帯が新築、129世帯が中古住宅、金銭補償が72世帯、家屋修理が53世帯、全て一年以内に終えたそうだ。
こちらは「ハード面の救済」の例である。
こうした事例が福島の復旧の参考にはならないだろうか?インフラの復興を優先するあまり、仮設住宅での暮らしが4年にもなる人々。ストレスから孤独死や自殺する人が出ているという現状に対して…。
私はハンガリーのアイカの例に興味を持った。(家田氏がハンガリー研究の専門家だったこともあって、講演のかなりの部分をアイカの例に割いたこともあるのだが)
そこで私としては珍しく質問した。
「けっして豊かとは思えないハンガリーが、なぜそこまで迅速に避難住民の住宅建設を行ったのか」と…。すると家田氏は、こう答えてくれた。
ハンガリーでは2001年にも大規模洪水被害があり、その際にも政府は住民の住宅再建を最優先にしたという体験があったからだ、と…。
アイカの事故の場合は企業責任が問われるのだが、その責任を追及することで住民の住宅建設が遅れるよりは、まず国費を投入して「被災者一人ひとりの救済」を優先させたということのようだ。
「他から学ぶ」…、いろいろと隘路もあるのかもしれないが、忘れてはいけない視点だと私は思う。
3月4日(水)夜、本年2度目となる「遠友学舎炉辺談話」が北大遠友学舎で行われ参加した。この日は北大スラブ・ユーラシア研の家田修教授が「福島、チェルノブイリ、アイカを地域とグローバルな視点から考える」と題して講演をされた。
福島、チェルノブイリ、アイカに共通するのは、いずれも大規模災害に見舞われた地である。福島、チェルノブイリの災害については言わずもがなであるが原発事故に遭った地域である。
一方、アイカはハンガリーにあって、2010年10月にハンガリーのアルミニウム製造工場から廃液の赤泥が大量に流れだし、周辺の町や村が1~2mにも達する赤泥に飲み込まれ、多くの車や家屋が押し流されたそうである。赤泥には重金属や強塩基など毒性および腐食性の高い物質が含まれていたこともあり、死者10人、負傷者300人以上という大惨事になったという事件である。
家田氏のこの日の講演の趣旨は、災害復旧の在り方についてであった。
家田氏は災害復旧にあたっては、「被災者一人ひとりの救済」が重要ではないかと説いた。
チェルノブイリの場合は、もともと周辺はポレシア地方と呼ばれ、住民はポレシア方言を話していたそうだ。それが事故によって住民たちは四散したため、避難先から方言が失われるというという危機になったそうだ。方言を話せないことが住民たちの間にストレスを産むことになったが、言語学者たちが方言の蒐集活動で聞き取り調査をする中で、住民たちの心が癒されていったという。
避難者たちは放射能被曝に加えて、故郷の喪失という二重のストレスからわずかではあるが解放されていったようだ。これは「心の救済」の例である。
一方、ハンガリーのアイカの場合は、事故後ハンガリー政府がいち早く被災者住民の住宅の再建に取り組んだことである。事故から一年以内に、集団移転で111世帯が新築、129世帯が中古住宅、金銭補償が72世帯、家屋修理が53世帯、全て一年以内に終えたそうだ。
こちらは「ハード面の救済」の例である。
こうした事例が福島の復旧の参考にはならないだろうか?インフラの復興を優先するあまり、仮設住宅での暮らしが4年にもなる人々。ストレスから孤独死や自殺する人が出ているという現状に対して…。
私はハンガリーのアイカの例に興味を持った。(家田氏がハンガリー研究の専門家だったこともあって、講演のかなりの部分をアイカの例に割いたこともあるのだが)
そこで私としては珍しく質問した。
「けっして豊かとは思えないハンガリーが、なぜそこまで迅速に避難住民の住宅建設を行ったのか」と…。すると家田氏は、こう答えてくれた。
ハンガリーでは2001年にも大規模洪水被害があり、その際にも政府は住民の住宅再建を最優先にしたという体験があったからだ、と…。
アイカの事故の場合は企業責任が問われるのだが、その責任を追及することで住民の住宅建設が遅れるよりは、まず国費を投入して「被災者一人ひとりの救済」を優先させたということのようだ。
「他から学ぶ」…、いろいろと隘路もあるのかもしれないが、忘れてはいけない視点だと私は思う。