田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

“今でしょ!”の林修氏が語る「おもてなし」

2017-02-24 19:20:23 | 講演・講義・フォーラム等
 林氏は言う。「人をもてなすことが自己満足であってはダメ」だと…。相手が何を求めているのか、相手の反応を見ながら饗すべきだと強調された。

            
            ※ 講演会の写真撮影はNGである。そこで林氏の写真をウェブ上から拝借した。
 
 「いつやるか?今でしょ!」ですっかり著名人となった東進予備校の講師・林修先生が札幌市主催の「おもてなし講座」の講師として来道し、2月16日(木)夜、札幌市民ホールで講演したのを受講する機会を得た。

 そもそも札幌市が主宰する「おもてなし講座」というものの趣旨が今ひとつ分かっていなかったのだが、林修氏という著名人の話が聴けるならと思い受講を希望したところ聴講券が舞い込んだというまったくミーハーな受講動機なのだ。主催者の話によると、1,200名の定員に対して4,600名の応募があったとか…。会場の札幌市民ホールは満席状態だった。

 林氏は登場すると直ぐに、知人から「お前は仕事を選ばない奴だ」と揶揄された、という自虐ネタで会場を和ませた。
 そして氏は、「自分はもてなしをされることがイヤなタイプである」と公言した。だから、よく他人からもてなされたとき、その方は満足そうだが、林氏自身はちっとも嬉しくない体験を何度もしているという。つまり、「おもてなし」は自己満足ではダメで、相手の気持ちを想い量ってほしいという。

 そして、このあたりから林氏の専門である国語の話になってくる。「もてなす」とは“饗”という字を用いることがある(饗応)、が、「饗とは、郷土の食べものをご馳走する」という意味が込められているという。
 そのためには、地元を良く知ることによって、地元のことについての蓄えをたくさん持つべきだと説いた。

 そして林氏は、中野好夫著の「悪人礼賛」を紹介した。林氏が私淑している評論家らしい。その「悪人礼賛」で中野氏は次のように述べている。

 ぼくの最も嫌いなものは、善意と純情である。
 考えてみると、およそ世の中に、善意の善人ほど始末に困るものはないのである。ぼく自身の記憶からいっても、ぼくは善意、純情の善人から、思わぬ迷惑をかけられた苦い経験は数限りなくあるが、聡明な悪人から苦杯を嘗めさせられた覚えは、かえってほとんどないからである。(中略)
 それにひきかえ、善意、純情の犯す悪ほど困ったものはない。第一に退屈である。さらに最もいけないのは、彼らはただその動機が善意であるというだけの理由で、一切の責任は解除されているとでも考えているらしい。
 

 いやいや単純に善意で純情な持ち主である(と信じている)私などは尻尾を巻いて逃げ去るしかない。
 しかし、ここまでひねくれる必要もないように思われる。(と言ったら中野氏や林氏に軽蔑されそうだが)
 林氏は最後に「より深く地元を知ることによって、より深いおもてなしができる」と説いた。そうした蓄えをたくさん持ったうえで「相手をよく見て、理解して、おもてなしをするのが良い」と結んだ。

 会場では何故か来場者に対して、コーヒーなどの飲み物が振舞われ、さらには茶菓子さえも用意されていた。
 最初の疑問であったその趣旨だが、冬季アジア大会の開会を前にして、市民に外国人選手や観客に対する「おもてなし」を意識してほしい、という趣旨だったのでは、と理解したのだが…。