田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 188 白痴

2017-02-19 22:58:07 | 映画観賞・感想

 ご存じロシアの文豪ドフトエスキーの小説「白痴」を、日本映画の名匠・黒澤明が昭和26年に映画化したものである。原作の舞台ロシアを、札幌に置き換えて制作されたものだが、上流階級(と思われる)の愛憎劇に関心はなく、どこか白けながら見た映画だった。 

                  

※ トレッキング噺ばかり続いては食傷されるのではと思い、トレッキングに出かける前に参加した映画会についてレポートすることにした。

 2月13日(月)午後、「めだかの学校」の「映画の中の北海道」が開かれ、今月は昭和26年に制作された「白痴」が取り上げられた。
 「白痴」は、黒澤監督がメガホンを取り、原節子、久我美子という当時の美人女優が共演していることからも、その筋については多くの人がしるところと思われるので、詳しくは触れないことにする。

               
               ※ 原節子と白痴役の森雅之の二人です。

 要は、原節子、久我美子という境遇は違うが周りからも美しいとみられ、他の男性からも言い寄られるような二人の女性が、森雅之演ずる癲癇性痴呆で自ら“白痴”だと称する男の純粋で無垢な男に惹かれていく様を描いた映画である。

               
               ※ 久我美子と森雅之の二人です。

 どうも私は“芸術“とやらを理解し、楽しむ能力(感性?)に著しく欠ける男のようである。川瀬直美監督とか、北野武監督とかが外国映画祭において受賞したという作品を見てもその良さを感得できないのだ。
 そうした芸術性豊かな作品を数多く産み出してきたのが黒澤明監督であるが、私はまた彼の良さも今一つ感得することができないのだ。
 それはこの映画においても例外ではなかった。
 私は166分の映画を観続けながら、どうしてもその中に入っていけない自分を感じていた。

 それは何故なのだろう?と考えてみた。私が映画に求めることは、まず分かりやすさである。人間関係とか、ストーリーの設定とか、…。
 そして今一つの求めるのはエンターテイメント性である。
 芸術作品と称される映画には、この二つが欠けている場合が多いのではないだろうか。
 こうした類の映画においては、人間関係などを分かりやすく描くことなどに時間をかけていられないということか。あるいはその辺りは観る方が咀嚼せよ、ということか?
 また、多くの一般大衆が面白がる内容など、芸術を志向する場合には無駄なことだということか?

                  
                  ※ 私の文章では触れていないが若き日の三船敏郎も重要な役で出演しています。

 そういえばこの「白痴」は、当初4時間25分の長編であったものが、親会社の松竹の意向で2時間46分に短縮されて公開されたという。そのあたりも私には分かりにくい原因となった一つなのかもしれない…。

 ただ、札幌人としてこの映画を観れば、昭和20年代の札幌の街(冬の街)が活写されていて、それはそれで興味深いものだった。