田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

思うは招く ~ ボランティアに助っ人が!

2012-07-11 18:27:55 | ボランティア
 昨日の投稿で植松努氏の「思うは招く」という講演をお聴きしたとレポートしたが、実は私の中の“夢”が、最近になって思わぬ形で実現したという嬉しい出来事があった! 

 私が代表世話人を務める「近美を愛するブリリアの会」で発行する会報の1月1日号に私は「私の初夢」と題して次のような一文を寄せた。(紫字の部分)

 ある方から「みなさんの会はマンションにお住まいの方だけの会なのですか?」と訊かれたことがありました。 
 訊かれた私は現在の構成がそうなっているから「そうです」と答えながら、言葉を付け足しました。「もし、マンションに住まわれていない方で一緒に活動したいという方がいらっしゃったらお誘いしたいですね」と言いました。もちろんそのような場合には皆さまに相談しなければいけないと思いながら答えました。 
 残念ながら昨年はそういったケースは皆無でした。今年、私たちが活動しているときにそうしたケースが出てくることを夢見ています。  
 さらにもう一つの夢は…(後略) 

 前回の活動の時(6月25日)です。見慣れない男性の方が一生懸命竹箒で歩道上を掃いています。近づいてお話をうかがうと、近くのマンションにお住まいのNさんと云う方で、近所の公共施設の花壇のお世話をした帰りに私たちが活動しているのを見て「手伝おう!」と思った、ということでした。
 Nさんはいろいろなところでボランティアをされているとのことで、箒さばきも堂に入っています。そして「これからも連絡をいただければ手伝いますよ」と云ってくれました。

          
          ※ 私たちの活動に参加してくれたNさんです。

 Nさんのところに会報を届け、次回の活動日をお知らせした。
 昨日朝、その活動日でしたがもちろんNさんは早々に駆けつけてくれた。自ら清掃用具を持参して…。
 私たちの仲間と一緒に花壇の草取りをし、大量に舞い落ちた枯葉(今の時期の枯葉には多少の戸惑いもあるのですが)を丁寧に掃き集めてくれた。
 Nさんは嘆きます。「近ごろの高齢者は要求ばかりして、地域に貢献するなどという考えを持つ人が少ない」と…。私もまったく同感です。

          
          ※ この日掃き集めた枯葉やゴミはボランティア袋で8袋にもなりました。

 心強い仲間を得た思いである。
 初夢の一つが実現した今、ますますこの活動をしっかり続けていかなくては、と思った。
 私たちのささやかな行動が地域に清々しい風として広まっていくこと願いながら…。

          
          ※ 清掃活動によってスッキリした近代美術館前の歩道です。

植松努氏 精力的に語る

2012-07-10 22:50:46 | 講演・講義・フォーラム等
 北海道赤平市でロケットエンジンや小型人工衛星の開発を産学協同で手掛けている植松努氏の「思うは招く」~夢があればなんでもできる~と題する講演聴くことができた。氏のポジティブな思考に私はおおいに刺激された。
 

               

 7月7日(土)午後、札幌市コンベンションセンターで植松努氏の講演を聴く機会を得た。植松氏は植松電機を率いる傍ら、北海道大学のロケットエンジン研究者と連携して既存のロケットエンジンとはまったく違うロケットエンジンの開発に情熱を注いでいる方として知られている。
 また氏は子どもの教育にも非常に関心が高く、氏の考えや実践を広く伝えようと全国を講演で飛び回っているとも聞いている。

 氏の講演はまさに立て板に水という感じで、息つく暇もないほどに90分間話し続けた。
 その内容は氏のこれまでの来歴や現在の取り組みを縦糸として、そこで感じた矛盾や世の中の非常識を鋭く突くことを横糸として、聴く者に対して「夢を持ち続け、そこに向かって努力せよ」と説く内容であった。

 氏の早口に私のメモはまったく追いつかなかった。
 ただ氏はパワーポイントを使用していたので、途中からそれをカメラで写し残すことを思いついたので、そこに残っていた植松語録を紹介することにする。

          
          ※ 植松氏は子ども対象の「ロケット教室」を全国各地で積極的に怪異際しています。

 植松氏はまず「夢」を持つことを勧めます。そしてこう説きます。(紫字が植松語録です)
 夢を見つけるためには「感動」すればいい! 「うわ-、すご-い!」「うわ-、やってみたい!」
  
 夢がたくさんあれば一個くらい挫折しようが、くじけようが平気でいられます。 

 そして植松氏は「ど-せ無理」という言葉を多用しました。
 人の努力をやめさせる言葉  意味なくね!  なにそれ自慢?  どーせ無理だ
 どーせ無理 = 人を殺す言葉 
 「どーせ無理」がいじめと暴力の連鎖を生み出す 
 「どーせ無理」をなくせば、いじめ、暴力、戦争がなくなる。 

 植松氏は自らの来歴の中で、「どーせ無理」と言われたことでも果敢にそれを克服する努力をしてきたという。そして今があると…。
 氏のロケットエンジン開発や小型人工衛星などの宇宙開発技術も「どーせ無理」と囁かれながらもあきらめずに夢を持ちづけた結果、今花開こうとしているという。
 氏は最後にこう締めくくった。
 思うは招く 「どーせ無理」から「だったらこうしてみたら!」へ 

          
          ※ 植松氏の著書「NASAより宇宙に近い町工場」の表紙の写真です。

 植松氏の口からはまだまだ植松語録がたくさん飛び出した。
 その語録一つ一つが氏の生き方や実践を通して語られた一語一語だったので説得力を伴いながら私の耳に届いた。

 氏が代表を務める宇宙開発企業「カムイスペースワークス」の将来性に期待したいし、その動きから目が離せないと思った。

市民カレッジ 石狩川とともに 後編

2012-07-09 21:38:51 | 札幌学 & ほっかいどう学
 前編で石狩川が洪水に悩まされた歴史について触れたが、その支流である豊平川流域も洪水に悩まされた歴史があった。そして豊平川もまた捷水路工事によって現在のような姿になったことを知った。 

 石狩川流域がその昔幾多の洪水被害に遭ったと前編で触れたが、豊平川流域に広がる札幌市もまた何度も洪水の被害に泣かされた歴史があった。
 市民カレッジ「石狩川とともに」の第三講は「札幌の治水」についてだった。

          
          ※ 今回前後編で使用した写真のうち、唯一自分で撮った写真です。石狩川と豊平川の合流地点です。向こう側の白く覆われているところが石狩川です。

 札幌市は豊平川の扇状地に広がっているが、その下流域は低地で湿地帯であったために何度も洪水の被害に見舞われた。
 そのため札幌市では新川をはじめとして、琴似新川、雁来新川などいつくもの流水路が造成されたそうである。そして豊平川自体も石狩川に流入する新水路が捷水路工事によって造成されていたことをこの講座を受講して初めて知ることができた。
 以前の豊平川と石狩川の合流地点は、現在よりずっと江別側に寄ったところにあったということだ。
 そう云われてみると、私が一年前に石狩川との合流地点から豊平川を遡ったときに「河畔がわりあいスッキリしているなぁ」と感じたのは、人工的に造成された川だったということなのだろうか?

          
          ※ 豊平川を写す代表的な光景といって良いでしょう。

 意外なことを聴くことができた。
 それは豊平川が急流で知られる木曽川や吉野川より上流と下流の高低差が大きく、大変な急流であるということだ。そのため豊平川は川底が流れによって削られる危険があるという。
 豊平川を遡っているとき、川一面にコンクリートの造成物が置かれているところが何カ所か目に付いた。あの造成物は川底が削られるのを防ぐ「床止(とこどめ)」という装置だということを教えられた。

          
          ※ これも札幌市内を流れる豊平川を空撮した一枚です。

 第4講では「未来」をテーマにお話を聴いたが、石狩川、豊平川とも治水対策が進み洪水の被害を受けることも少なくなった。そして石狩川流域は豊かな穀倉地帯になり、豊平川流域は多くの人口を受け入れ大都市へと変貌したが、けっして治水対策が完成したわけではない、と講師の鈴木氏は指摘した。

 それは近年の天候の変化にあるという。
 地球温暖化の影響も受け、雨の降り方などに変化が出てきていると言います。
 そのために新たな対策が求められていると…。

               
          ※ 石狩川が日本海に注ぐ河口部分の図です。図の左側に茨戸川から日本海に注ぐ直線がありますが「石狩放水路」です。洪水の際に非常に役立ったそうです。

 一方、次のようなことも指摘した。
 洪水など自然災害に対しては、ハードの対策ばかりでなく「減災」という考え方も重要であると…。「減災」とは災害時において発生し得る被害を最小化するための取り組み(ダメージコントロール)である。それはハード面だけではなく、ソフト面において日常から災害を最小限に食い止めるための心構えであり、備えだろう。私もそのことが大切ではないかと思う。

          
          ※ 空撮で見る石狩川河口です。私は今年春この先端部分をぐるっと一周しました。

 日本の高度成長期には莫大な予算を投下して、日本国中で国土改造が進められた。しかし、今は予算面からも、自然保護の面からも以前のようなことができる環境にはないと云えるのではないか。
 今現在も国内的に見ると、自然災害での痛ましい事故は絶えないが「減災」の考え方を徹底することによってかなりのケースが未然に防げたのではないかとも思われる。
 「減災」の考え方が地域社会の中により徹底されていくことを望みたいものだ。

 4回にわたった今回の講座は、講師の鈴木英一氏にいわゆる役人臭さがなく、難しい内容を素人にも理解できる程度に噛み砕いて説明していただき、とても楽しく受講することができた。このような講座なら何度でも受講したい。

 これで私は「道民カレッジ」の8単位を取得することができた。(ちなみに札幌学院大学のコミュニティカレッジでは10単位を取得した)

市民カレッジ 石狩川とともに 前編

2012-07-08 23:52:40 | 札幌学 & ほっかいどう学
 久しぶりに市民カレッジの講座を受講した。石狩川の治水の歴史を興味深く受講した。少し時間は経ってしまったが私の記憶に残った講義の要諦を2回に分けてレポートすることにする。 

          
          ※ 石狩川をはじめ北海道内の一級水系を表した図です。

 ちえりあ(札幌市生涯学習センター)で市民カレッジを受講するのは2年ぶりだろうか?
 冬期間に石狩川の支流である豊平川河畔を遡ったり、石狩川河口を歩いていたりしたことから「石狩川」に興味を抱き、久しぶりの受講となった。
 講師は北海道開発局長を歴任し、現在は北大大学院の特任教授を務められる鈴木英一氏だった。氏は北海道の河川行政を担ってきた方で、治水の専門家である。
 講義のテーマは「石狩川とともに ~母なる大河改修の歴史と未来~」と題して、4回にわたっての講座だった。その日程と内容は、

 ◇6月 6日(水) 開拓期の石狩川
 ◇6月13日(水) 石狩川改修の始まりと利水
 ◇6月20日(水) 札幌の治水
 ◇6月27日(水) 石狩川の流域の未来  

 石狩川は講義題にもあるとおり北海道民にとっては「母なる大河」とも称され、その流域人口は320万人を超え、人口比でいうと北海道民の57%が集中しているという文字どおり北海道を代表する河川である。
 その石狩川の流域は開拓期の明治時代、低湿地あるいは泥炭地として幾度も洪水に見舞われる川であった。記録に残っている明治31年の大洪水では112名もの死者を出している。

          
          ※ ちょっと分かりづらいが、捷水路工事前の曲がりくねった石狩川の図です。

 石狩川というと、その曲がりくねった流路をショートカットし、洪水を未然に防ぐために長期間にわたり大規模な工事を施したことで知られている。(このショートカット工法を専門用語で捷水路<しょうすいろ>工事ということを知った)
 講義で提示された以前の石狩川と現在の石狩川ではずいぶんと姿を変えている。
 資料によると、捷水路工事が行われる以前は364kmあった石狩川は捷水路工事によって268kmと実に100km近く短縮されたということである。(それでもまだ日本で第3位の大河である)

 私が所属する団体が「野外散策」と称して8月下旬に月形町の皆楽公園へ行くことになっている。皆楽公園は大きな沼を中心とした素晴らしい公園であるが、この沼もその昔は石狩川の一部だった。石狩川の捷水路工事によって切り離され、今は住民の憩いの場となっているのだが、石狩川の周囲にはこうした沼が多数存在していると聞いている。

          
          ※ 捷水路工事によって石狩川の周囲にはこのような風景が点在しています。

 捷水路工事とともに、周辺流域の排水路工事、用水路工事も実施されることによって大きな田園地帯が生まれることとなった。今現在、周辺流域が豊かな穀倉地帯となっている背景には相当に大規模な河川改良工事が行われていたことを知ることができた。

          
          ※ 図は現在の石狩川水系の図です。          
  しかし、石狩川の改修は今なお続いているということである。(後編へ)


初体験 フットパス

2012-07-07 23:37:38 | フットパスウォーク & トレッキング
 今日、フットパスなるものを初めて体験した。しかし、フットパスと云っても特別なものではない。野山を歩くということに関してはウォーキングと大して差はない。それはどうやら考え方の違いといったもののようだった…。 

 6月21日から4回にわたって札幌学院大学のコミュニティカレッジ「初夏のフットパス歩きを楽しむ」という講座を受講していた。(4回の講座の内、2回が実践だったのだが私は第1回目の実践があった6月30日は体調を崩して欠席してしまった)
 今日はその実践講座ということで野幌森林公園を歩いたのだ。

          
    ※ 参加者はJR森林公園駅10時集合ということで集まった。参加者に説明しているのが小川氏です。

 講師は北海道のフットパスの先駆者であり、札幌学院大学の非常勤講師を務められている小川巌氏だった。
 座学で小川氏はウォーキングとフットパス歩きの違いを次のように定義した。
 ウォーキングはその目的が[健康]+αである。
 対してフットバス歩きの目的は、地域を知る、自然を楽しむ、歴史・文化・産業・食べ物を知る、コミュニケーションを図る、など多種多様の目的 + 健康である。
 まあ、云ってみればあまり違いはない。敢えて云えばフットパス歩きは歩くだけが目的ではなく、さまざまな楽しみを味わいながら歩くといったところか?

          
          ※ 陽光が木々の間から漏れさす中を気持ちよく歩きました。

 2回の座学は、最初は北海道内のフットパスコースの紹介、そして2回目はフットパスの本場イングランド、スコットランド、そしてスペイン、済州島のフットパスコースを紹介してくれた。
 どこのコースも魅力いっぱいであるが、地域の人たちが熱心に取り組み、コースの整備も進んでいる済州島が今フットパスマニアには注目の的だとか…。

          
      ※ 小川氏はたくさんの植物を紹介してくれました。その一つのオオウバユリの花が咲いたところです。

 さて、今日野幌森林公園で実際に体験してみて、歩く速度は速くなく遅くなく…。時おり公園内の植物名を説明してくれるのだが、それもけっしてくどくどとした説明はなく…。
 参加者の方と交歓したとき「ウォーキングのように黙々と歩くだけではなく、観察会のように詳しい植物や鳥の説明があるわけではなく、両者の中庸をいくようなものですね」と話し合った。

          
          ※ 水芭蕉の葉がこんなに大きく成長するとは知りませんでした。

 それぞれの目的や願いを懐深く受け止め、それぞれの楽しみ方を尊重するのがフットパスの考え方かな?と考えた。だとすると、私の求めているものとも近いなぁ、と感じた今日のフットパス初体験だった。

          
       ※ サービスショットです。これほど無残にも食い荒らされたフキの葉を見るのは珍しいことです。

“ART”文字 悪戦苦闘物語

2012-07-06 21:53:41 | ボランティア
 聴くも涙、語るも涙…。今年の“ART”文字には今までになく苦労した。結局、今年もアルテルナンテラの苗を購入して、今朝ようやく植え終えることができた。少し長くなるが悪戦苦闘物語を綴ることにします。
 

 今年の“ART”文字は出だしから躓いていた。
 冬越しさせたアルテルナンテラ(以後通称の「テランセラ」と表記する)の苗の育ちが思わしくなかったのだ。2月末に挿し芽の作業を終えていたのだが、その後の育ちが良くなかった。
 定植するほど苗は育っていなかったが、6月19日に市立大通高校生に植え付けてもらった。(それでも例年より20日くらい遅れていた)

 しかし、植え付けた苗はあまりにも小さかった。
 例年、近代美術館の庭には大量のポプラの綿毛が舞う。今年の綿毛は例年にも増して大量に舞い落ちた。小さなテランセラの苗は完全に綿毛の中に埋もれてしまった。
 綿毛が舞い落ちるが落ち着くのを待って苗の様子を確かめてみると、かなりの苗が枯れ果てていた。

          
          ※ この大量の綿毛は小さな苗を包み隠してしまいました。

 実は私としては寒さに弱く、冬には室内で冬越しさせて春に挿し芽をして、苗を育ててから花壇に植え付けるという能率の悪さが気になっていた。そこで来年からは一年を通して(雪の季節は別だが)楽しめる宿根草の種に変えるべくいろいろと情報を集めていた。そしてその候補も内定していたのだ。(その候補は市内の園芸店などに在庫がない種だった)

 「今年はもう“ART”文字をあきらめて来年に備えようか?」という考えが頭をかすめた。
 しかし場所が悪い。あまりにも人目に付く場所である。あの場所を夏の間ずーっと土の色をさらしておくわけにはいくまい。
 そう考えた私はテランセラの苗を購入することを決心した。ところがこの決心が大変な悪戦苦闘を私に課すことになった…。

 テランセラの苗は100株くらい必要と考えていた。私は花の苗を扱っているホーマックから購入することにした。
 しかし、すでに花の苗のシーズンは終わりに近く、しかもあまりメジャーではないテランセラの苗はそれほどの数を置いてはいなかった。私は昨日昼から市内のホーマック店巡りを強いられることになった。各店ではテランセラの苗を置いていてもせいぜい10~20株程度だった。

          
          ※ 市内のホーマック店を駆け回って集めたテランセラの苗です。

 ◇旭ヶ丘店 12株 ◇山の手店 15株 ◇西野店 14株 ◇宮の沢店 0株 ◇発寒店 15株 ◇手稲前田店 8株
 手稲まで車を走らせ、6店巡ってかき集めたテランセラの苗は64株だった。まだ目標の100株には遠い。
 市内にはまだホーマックの店はあるが、残りは全て遠いところにあった。店に相談すると、その中では比較的近い川沿店、藤野店の在庫を問い合わせてくれた。川沿店には21株、藤野店には11株の在庫があるという。私はそれからまた往復一時間以上をかけて二つの店を訪れ、苗をかき集めたのだった。
 ◇川沿店 21株 ◇藤野店 11株
 以上、8店を巡り総計96株のテランセラの苗をかき集めた。走行距離59km、購入に要した代金9,408円だった。

          
          ※ ホーマック各店のレシートばかりが貯まりました。

 いやいや他人から見たらまったく馬鹿げたことをやっているように思われるだろう。
 私も車で走っているとき、そんな思いに駆られたのも事実だった。
 しかし、始めてしまった者の責任である。途中で投げ出してしまうような無責任なことはできない。(まあ、当たり前のことなんだけどね…)

          
          ※ ようやく植え付けを終えたテランセラの苗です。例年の6月初めの状況です。

 今日、早朝に妻にも手伝ったもらいながら空き地に“ART”の文字を無事に描くことができた!!
 例年に比べ(例年といっても今年で3年目だけど)大幅に遅れてしまい、見栄えが良くなるのは8月も半ばになると思われる。それでもなんとか恰好をつけることができたことに、今は心の底からホッとしているというのが正直な心境である。
 いやいや、ボランティアもけっこう大変ですわ。ハイ。

          
          ※ まあ勝手に苦労したのですが、その苦労に報いるためにもう一枚違う角度から…。

住田弁護士 高齢者に語りかける

2012-07-05 22:53:42 | 講演・講義・フォーラム等
 テレビ番組『行列のできる法律相談所』で一躍ブレークした住田裕子弁護士。その住田氏が札幌市の社会福祉大会において講演したのを聴くことができた。タレント弁護士らしく明るく、賑やかに私たち高齢者に語りかけた。
 
 7月3日(火)、札幌市民ホールで開催された札幌市社会福祉大会において住田裕子弁護士が「老後を安心して暮らすために」と題して講演した。
 住田弁護士というと『行列のできる法律相談所』で今や政治家となってしまった円山和也参議院議員、橋下徹大阪市長らとの絶妙のトークで人気を博した人である。

               

 住田氏も今年で61歳になったということだが、明るい花柄のファッションで若々しく、賑々しく登場した。そして自身を“美人”と云ってはばからない陽気さで聴く人たちの心を魅了した。
 その華麗さはファッションばかりでなかった。彼女の履歴もまた華麗なものだった。
 住田氏は東大法学部を卒業後、検事として20年務めた後、弁護士に転進していることが分かった。あの陽気さは人生の成功者としての自信がそうさせているのか、と勘ぐりたくなるほどだった。

 さて彼女の話だが、検事時代、弁護士時代に遭遇した数々の事件で高齢者が被害者となったケースを具体的に取り上げ、被害者とならないための留意点をアドバイスするような形で進められた。
 具体的に、そして面白く一つ一つの事件を語る様はテレビで培ったものなのかと思わされた。

 最後に彼女も高齢者の入口に差しかかり、三つの「きんりょく」に留意し、できるかぎり自立できる高齢者でありたいと締め括った。その三つの「きんりょく」とは…、
(1)筋力  健康寿命を伸ばす 健康長寿食(和食の重視) 日常の運動
(2)金力  騙されない 資金の分散投資 計画的に有効に
(3)近力  社会との関わりを大切に 人間関係 「孤立の病」を避ける

               

 自らの生き方に自信満々の住田氏は最後にこう述べた。
 20代から20年間は検事として、次の20年間は弁護士として生きてきた。これからの20年間はNPOで生きていきたいと…。彼女は今「NPO長寿安心会」の代表として忙しい日々をおくっているという。
 自信の裏にはしっかりとした人生設計が描かれていたということなんだねぇ~。

モーツァルト協奏曲連続演奏会

2012-07-04 21:55:05 | ステージ & エンターテイメント
 モーツァルトのピアノ協奏曲にこだわって演奏会を続けているグループがある。札幌市のアンサンブルグループ「奏楽(そら)」である。その第4回演奏会に誘われて聴く機会を得た。 

               

 7月2日(月)夕刻、札幌サンプラザホールで奏楽(そら)による第4回モーツァルト協奏曲連続演奏会が開催され、知人からの勧めもあってホールに足を運んだ。
 プログラムによると、奏楽は北海道教育大学札幌校の特設音楽コースの同窓生を中心に結成されたグループのようである。この日は18名のグループメンバーと5名の賛助出演によって4曲の協奏曲が披露された。その4曲とは、
 ◇ピアノ協奏曲 第11番 ヘ長調 K.413  ピアノソロ 前田朋子
 ◇ピアノ協奏曲 第12番 イ長調 K.414  ピアノソロ 小泉香織
 ◇ヴァイオリン協奏曲 第1番 変ロ長調 K.207 ヴァイオリンソロ 田島理恵
 ◇ピアノ協奏曲 第13番 ハ長調 K.415  ピアノソロ 伊藤桂子
というラインナップだった。

 グループの代表の方によると「モーツァルトのピアノ協奏曲を全曲演奏したい」という願いがあるそうだ。調べてみるとモーツァルトのピアノ協奏曲は全曲で27番まであるようだ。これまで4回の開催で13番まで到達したということは、まだ4~5回は開催するということになる。
 その代表の方が云っていたが「モーツァルトの協奏曲だけを連続して演奏する演奏会はなかなかない」ということだ。そういう意味では意欲的・実験的な試みと云える。

 さて演奏だが、クラシックにはまったく素養のない私にはそれを評する力はない。ただソリストもアンサンブルのメンバーも相応の研鑽を積んできた人たちばかりである。またたくさんのステージを経験もされているようだ。素晴らしい音であったことは間違いない。
 
 クラシックに疎い私であるが、モーツァルトは時おり聴く機会もある。しかし、今回の協奏曲はどの曲をとっても初めて聴いたものばかりだった。それでも耳には心地良く入ってきたのはモーツァルトだから?

 印象的な場面があった。ステージ慣れしているとはいえソリストにとって演奏前の緊張はかなりのようで、ピアノの鍵盤を懸命に見つめていた。第一楽章を終えたインターバルの時、無事に滑り出せたという安堵感からだろうか、客席に笑みを見せる余裕が生まれたのを私は見逃さなかった…。

札幌のモアイ像

2012-07-03 22:27:42 | 札幌(圏)探訪
 このタイトルを見ると札幌市民にとっては「あ~あ」と直ぐ思い浮かぶほど「真駒内滝野霊園」のモアイ像は有名(?)ではないだろうか? これまで傍を通ることはあったが中へ入るのは初めてだった。すると…。
 

 「なぁ~んで日本のお墓にモアイ像なんだろう?」と思っていたが、モアイ像どころではなかった。出てくる、出てくる摩訶不思議!!

 モアイ像にばかり気を取られていたが、まずは入口の正門を入る前の脇にいわゆる赤い前掛けをかけた「お地蔵さん」たちが出迎えてくれた。
 さらには正門前に大持國天王をはじめとした「四天王」が両脇を固めている。
 ここまではまだ仏教に関係あるらしい像と理解できたのだが…。

          

          

 正門を入って直ぐに、「人頭有翼の獅子像」なるエジプトの神殿に出てくるような像が出てくるに至って頭が混乱してきた。
 像の下には次のような説明が刻されていた。「今から2000年前にエジプトの都市の城門や宮殿の入口に安置され 侵入して罵言を吐く悪霊を門前で撃退するための守護神である」と…。一応意味付けはなされているようだが、「この霊園はエジプトの神に護られているの?」と突っ込みの一つも入れたくなった。

          

 そしてご本尊(?)「モアイ像」の登場である。いやいやそのスケールたるや恐ろしい。大きいもので高さ9.5m重さ120tだそうである。そんなモアイ像が大小33基並ぶ様は壮観である。
しかしなんでイースター島のモアイ像のレプリカを札幌の地にもってくる必要があるのだろうか? モアイの「モ」には未来「アイ」には生きるという意味があり、私たちが生きた証しを後世へ永遠に継承できるように、ということのようなのだが…。
 私は気付かなかったが、その横にはチベット仏教には欠かせない「マニ車」があるということだ。

          

          

 モアイ像から目を反対に移せば、何やら石柱がたくさん並んでいる。イギリスの世界遺産として有名な「ストーンヘイジ」である。ここにも説明板があったが、古代の太陽信仰をなぞって建立したと記されていた。

          

 そしてその横には大きな「大仏」さまが鎮座していた。高さ13.5m、1500tの石を使用した石造大仏である。私は大仏の大きさにも驚いたが、その前にあった釣鐘の大きさにも驚いた。普通のお寺にある釣鐘の2倍はあろうかと思われる大きさだった。
 さらに向かいにはこれまた大きな和太鼓が蔵の中に入っているのが見えた。

          

          

 ここまで多国籍化を図っているのを見せられると、驚きやあきれた感を超えて霊園のコンセプトが見えてくる思いがした。霊園の案内には「宗教・国籍を問わない民営霊園」とある。
 そこには日本の主たる宗教である仏教を意識しつつも、日本人の意識の中にある宗教観の変化を巧みに取り入れようとする企業としての戦略が見えてくる思いがする。
 「モアイ像といえば真駒内滝野霊園」と札幌市民の中に刷り込まれたことも霊園のねらいが功を奏したと云えるような気がしてならない…。

新冠へワンデートリップ

2012-07-02 21:37:01 | 道内の旅

 先日(8日)新冠町までの小さな旅をした。新冠町に限ったことではないと思うが各自治体が地域の住民のため、そして地域外から人を呼び込むために魅力的な街づくりに努力していることをうかがい知ることができた。 

 私が所属する某団体の今年の観楓会一泊旅行は日高方面と決まった。
 私はその団体の厚生担当ということで、先日他の担当者とともに事前視察のために日高方面に赴いた。
 訪れた町はむかわ町、平取町、新ひだか町(旧静内町)、新冠町と4町にまたがったが、ここでは新冠町に絞ってレポートすることにする。

          
          ※ 逆光のためその良さが伝わらないきらいがあるが「レ・コード館」の正面です。

 新冠町でまず訪れたのが、ある意味で新冠町の名を全国(?)に知らしめることにもなった「レ・コード館」である。
 これはなかなかいいところに目を付けた施設だ。世の音楽記憶媒体がアナログレコードからCDに移行することよって廃れようとしていたレコードを全国の愛好家から収集し保存するとともに、ぬくもりと存在感のあるレコードの音を聴かせるというコンセプトは秀逸である。レコード世代の人間にとっては懐かしさを感じ、レコードを知らない世代には博物館的価値を提供しながら道内外から人を呼び込める施設である。
 小さな町の施設として同施設に図書館と町民ホールが併置されているのはやむを得ないことだろう。
 また、同じ敷地内に道の駅「サラブレッドロード新冠」と「Aコープ新冠店」などが集中しているのは観光客にとっても、地元住民にとっても都合の良いつくりだと思われる。

          
          ※ レ・コード館の前庭に設置されていた伝説の名馬ハイセイコーの像です。

          
          ※ レ・コード館と同じ敷地にある道の駅「サラブレッドロード新冠」です。

 次の訪れたのが宿泊を予定している「新冠温泉『レ・コードの湯』(ホテル ヒルズ)」だった。
 外観を見て驚いた。ログハウス風の堂々とした造りが目を惹いた。施設の名のとおり温泉とホテルを兼ねた施設である。レストランも備えていて、外部からの客も迎え入れることのできる立派な施設である。
 時間がなくて温泉を体験することはできなかったが、団体客とともに町の人たちが風呂道具片手に温泉を利用している様子をうかがうことができた。

           
          ※ 新冠温泉「レ・コードの湯」(ホテル ヒルズ)」のエントランスです。         

 温泉の直ぐ近くには立派なパークゴルフ場も併設されていた。最近の北海道の温泉施設にはパークゴルフ場が付設されているのが当然のような状況だが、実際に体験してみたが道内的に見ても上級に属するコースではないだろうか?(私はあまり詳しくないのだが)

 そして最後は新冠町の主産業でもあり、新冠を象徴する軽種馬の牧場が林立する「サラブレット銀座」を走った。この景観こそ新冠町を代表する風景なのだろう。近年は経営が厳しいとは聞いているが、その牧歌的な風景は人の心を和ませるに十分な風景だった。

          
          ※ サラブレッド銀座ではこのような光景が延々と続きます。

          
          ※ サラブレット銀座の一角では芦毛の名馬オグリキャブの像があり、その奥にはオグリを讃えた優駿記念館がありました。

 この他にも新冠町には「判官館森林公園」や「太陽の森ディマシオ幻想美術館」などといった観光名所があり一日遊ぶには十分の量的・質的キャパシティを備えている。
 札幌から車でおよそ2時間ほどのドライブで新冠町である。
 日帰り旅行(ワンデートリップ)、あるいは一泊旅行には格好の旅行地と云えそうだ。