田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

スノーボードで北海道の魅力発信!

2021-11-10 16:25:07 | 講演・講義・フォーラム等

 講師を務めた宮武祥子氏はプロスノーボーダーらしく自らの選手生活を、スノーボードの魅力を、そしてこれからの未来を、快活に、ポジティブに語った。

   

※ 「ほっかいどう学」かでる講座で講演する宮武祥子氏です。

 前回からリアル講座として復活した「ほっかいどう学 かでる講座」の第9回講座が昨日午後開講された。今回は「スノーボードで北海道の魅力発信!」と題して道内でプロスノーボーダー(アルペンスノーボード)として活躍する宮武祥子氏が講師を務めた。

 私はスポーツに興味・関心があり、スポーツ界のことについてそれなりに知識のある方だと自認していたのだが、宮武祥子氏のことについての知識はなかった。彼女は現在34歳(と自らの履歴の中に表記している)ですでに第一線を退いているが、現役時代は真剣に五輪出場を目指していた選手である。アルペンスノーボードの世界ではソチ五輪で銀メダルを獲得した竹内智香選手が有名であるが、宮武氏は当時2番手、3番手につけて五輪出場を狙っていた。絶好調時には全日本選手権にも優勝を果たしていた。時には海外に拠点を移し五輪出場のため努力を重ねたが、怪我などにも見舞われ壁を突破することができず、28歳の時に五輪出場を断念したそうである。

   

※ アルペンスノーボードは写真のように旗間を潜り抜けタイムを競う競技です。

 ここまでを語る宮武氏は、無念さもあっただろうが、それよりはむしろ自らの選手生活を誇るかのように快活に、ポジィティブに語る姿が印象的だった。それがまた彼女の現在に繋がっているとも言えるかもしれない。

 彼女は現在、①ジュニアチームSIG-NAUTUREコーチ、②大会等イベントの企画・運営、③選手活動(国内プロツアー参戦)の三つの顔をもって活動しているという。

 ①のジュニアチームの育成については、頂点を目指して選手生活を過ごした彼女が当然のごとく携わらねばならない役割だろう。彼女は道産子アスリートから五輪選手を育てたいとの夢を持ってジュニアを慈しみ育てているという。

 ②の活動については、スノーボードを核としてなんとか 北海道を元気にしたい” との夢を抱いているという。地域特性を活かして選手・観客・関係者など全てが楽しめる企画を実施していきたいと語り、そのために自らは「北海道アルペンスノーボード盛り上げ隊長」を自称しているそうだ。

 そして③の選手活動については、彼女自身「何よりこだわりたい」ことだという。けっして若くはない(失礼!)彼女だが、戦い続けながら、新しい「プロ」の姿を築きたいという。ここにこそ彼女のポジティブ思考を見て取れる思いがする。

       

※ 宮武選手の現役時代の写真と思われます。

 ところで彼女は今回の講演では全く触れなかったが、彼女にはもう一つ私が注目した顔があった。それは彼女が自己紹介の中でサラッと触れたのだが、彼女は現在出身地の「登別市会議員」を務めているということなのだ。このことがきっと彼女の思考や言動に大きく影響していると私は思うのだ。「地域の活性化」は地方議会の議員にとっては至上命題である。そうしたことを彼女は自らの来し方を振り返り、そこから彼女の現在の思いや活動が生まれてきたのではと想像するのである。

 彼女が最後に放った言葉「北海道を舞台としたエンターティナーになりたい」と快活に語る宮武祥子氏のこれからに心からのエールを贈りたい。期待しています!


映画 №329 たそがれ清兵衛

2021-11-09 15:36:27 | 映画観賞・感想

 第26回(2002年度)日本アカデミー賞のほとんどの部門の最高賞を受賞したという作品であるが、その評価も十分に納得できる素晴らしい内容であり、出演者たちの演技だった。監督・山田洋次氏の一つの到達点とも思える作品だった。

      

 私が所属する「メダカの学校」では今季(2021年度後期)藤沢周平原作の映画を連続観賞することにしている。昨日(11月8日)はその第2回目として「たそがれ清兵衛」(2002年公開)が取りあげられた。

 私は当初、映画は藤沢周平書き著した「たそがれ清兵衛」そのものを原作とした映画化と理解していた。だから私は原作を何度も読み返し観賞に臨んだ。果てして原作で10頁足らずしかない内容をどのように映画化するのだろうか、と…。

 ところが山田監督が書き下ろした脚本は、藤沢周平が著した「武光始末」「祝い人助八」、そして「たそがれ清兵衛」の短編3作を参考にしながらあくまで山田監督が再構成して創ったものであり、私としては「あれっ?」という思いだった。

 しかし出来上がった作品は何の違和感もなく、藤沢作品に通底する下級武士の哀歓が哀しくも美しく描かれていた。

 私が特に感情移入が出来た部分は、映画の後半に清兵衛(真田広之)が所属する海坂藩で世代交代があり、旧体制を率いてきた藩士の粛清が始まったが、その中の独りに一刀流の使い手・余呉善右衛門(田中泯)がいた。彼は切腹を命じられたがそれに抗して討手を惨殺するなど抵抗していた。その善右衛門を討つために清兵衛が討手に命じられた。清兵衛は何度も断るのだが家老はそれを許さなかった。許されないと悟った清兵衛は自らの意志を殺して命令に従わざるを得なかった。善右衛門も清兵衛も自らの意志とは関係なく、藩内の抗争の犠牲とならざるを得ない下級武士の悲哀が滲み出ていた場面だった…。

        

※ 井口清兵衛と余吾善右衛門の室内での壮絶な果し合いのシーンです。

 宮沢りえ演ずる飯沼朋江は、そうしたストーリーとは直接の関係はなく幼馴染の清兵衛との淡い恋の相手として(とは云え、清兵衛は妻を亡くした下級武士であり、朋江は離縁して実家に帰った出戻り女として、しかも二人の家格には違いがあるという間柄である)描かれていたが、江戸末期の女を好演している。

     

※ 善右衛門との果し合いに赴く前に朋江に噛みを結ってもらう清兵衛です。

 今回は観賞後に、私がコーディネーター役を担いながら互いの感想を交流し合った。そうすると、思いのほか各人の感想が分かれた。率直に山田映画を賛辞する人、細かなディールが気になり感情移入ができなかったと語る人、主人公たちより脇役に注目した人、等々、実に多様な見方をしていることが分かり興味深かった。

 ある意味で万人の娯楽の対象である映画などは百人いれば、百通り感想があって良いのだと思う。これからも三月まで残り4本の藤沢周平作品の映画を観て楽しみたいと思っている。

※ なお、掲載の画像は全てウェブ上から拝借しました。


札幌景観資産⑬ 指定第18号 「北海湯」

2021-11-08 16:52:14 | 札幌景観資産巡り

 「北海湯」は赤れんが色の三角屋根の外観が特徴の建物である。明治、大正の頃にはかなり目立った建物だったのでは?と想像される。現在はBARとして活用されているとのことで内部見学は叶わなかった。

   

 「北海湯」の建物を見つけるのにはやや苦労した。というのも、ガイド本などでは「札幌駅から創成川を越えて元村街道と呼ばれていた斜めの通り沿いある」となっていたので、現在は「ファイターズ通り」とも称されている斜めの通りを歩いたのだが、それらしき建物を発見することができなかった。何度も周囲を行き来した結果、「北海湯」は斜めの通りではなく、その裏側の通り沿いで発見することができた。(その通りは「北8条通」と称されているようだ)

 「北海湯」の建物は赤れんが壁の堂々とした外観で、公衆浴場というイメージよりは商店か、あるいは会社の建物といった感じだった。

   

   

 建物の脇に立てられていた「札幌景観資産」に指定された表示には、「れんが造りの公衆浴場として建設された全国的に珍しい建物である。元村街道を中心として明治初期から開けていたこのあたり一帯は札幌麦酒会社や帝国製麻の赤煉瓦で造られた工場が並んでいた。三角屋根のシンプルな外観で正面上部の櫛型アーチや白色タイルの装飾、金文字の看板などがモダンに印象を与える」といった意味のことが書かれていた。

       

 建物の正面に近づいてみると「STUDIO BAR 北海湯」と書かれた看板が出されていた。特徴ある外観を活かして飲食店として現在も現役で活用されているようだ。BARを利用しながら内部を見てみたい気もするが、ちょっと我が家からは遠いかなぁ…。

   

北海湯 情報》

◇所在地 札幌市東区北7条東3丁目28

◇建設年 明治末期~大正初期

◇構 造 レンガ造

◇指定年 2007(平成19)年3月30日

◇その他 バー、貸しスタジオ  ※施設利用者のみ内部見学可

◇電 話 011-704-3300(STUDIOBAR 北海湯) 

◇訪問日 2021年11月6日


かでるロビーコンサート ポピュラーピアノを聴く

2021-11-07 15:39:14 | ステージ & エンターテイメント

 久しぶりの「かでるロビーコンサート」だった。ポピュラーミュージックをピアノソロで聴くコンサートは初めての体験かもしれない。クラシックとは違い、ポピュラーピアノというのは案外難しいのかもしれないと思わせてくれたコンサートだった。                                                                

       

 コロナ禍で中断していた道立道民活動センター(かでる2・7)のロビーコンサートだったが、このほどようやく再開された。11月5日(金)昼、今回はかでるに入居する「女性プラザ」が開館30周年を記念する祭典を開催するとあって、その祭典のオープニングコンサートと銘打っての開催だった。今回のゲストプレイヤーは市内のバーやクラブラウンジ、レストランなどでポピュラーミュージックのピアノ演奏活動を行っている佐々木朱希子さんによるピアノソロだった。

   

 短い(約30分間)時間の中で演奏された曲を紹介すると…、

◆Longing / Love [あこがれ/愛] /ジョージ・ウィンストン

◆Top Of The World/R.カーペンター

◆Honesty/ビリー・ジョエル

◆海の見える町 [“魔女の宅急便”より] /久石譲

◆筒美京平ヒットソングメドレー

 1. 魅せられて

 2. また逢う日まで

 3. 木綿のハンカチーフ

 4. わたしの彼は左きき

 5. 仮面舞踏会

◆ドラゴンクエスト「序曲」/すぎやまこういち

   

 一覧していただき、全ての曲がヒットしたポピュラーな曲ばかりが並んでいる。佐々木さんはこれらの曲をある意味軽々と弾きこなしているように聴こえてきた。ただ、一方で聴く側にとってはある種の物足りなさも感じていた。それはどういうことかというと、ポピュラーミュージックの場合、どうしても単一の楽器の演奏では音に厚みが感じられないのだ。こうした曲を、食事をしながら、あるいはお酒を嗜みながら聴くには絶好のシチュエーションかもしれない。しかし、今回のようにかしこまって聴くにはどうしても物足りなさのようなものを感じてしまうのだ。

 佐々木さんはそうしたことをカバーしようとしたのだろうか?曲によっては彼女自身が編曲したのではと思われる複雑な演奏も含まれてはいたのだが…。ピアノは伴奏楽器としてコンサートなどでは登場するケースが多い。そうした先入観を私自身が抱いていることも影響しているかもしれないが、評価の難しいコンサートだった。


映画 №328 日高線と生きる 

2021-11-06 17:03:08 | 映画観賞・感想

 本年四月、日高線のうち様似駅~鵡川駅間の廃線が正式に決定したのを受けて、高校時代に日高線で通学した体験を持つ監督〈稲塚秀孝〉が描いたドキュメンタリー映画である。私も廃線を体験した一人として興味深く画面に見入った。

        

 昨日(11月5日)午後、以前からぜひ観たいと思っていたドキュメンタリー「日高線と生きる」サツゲキにて観ることができた。

 「サツゲキ」は、以前は「札幌プラザ2・5」として貸しホールと貸しライブスタジオとして運営していた施設を、シネコンのディノスシネマが2020年7月に4スクリーンのシネコンとしてリニューアルオープンしたものである。私はリニューアルしてから初めて訪れたのだが、エントランスなどはおしゃれな雰囲気となった感があった。

 さて、映画の方であるが監督の稲塚秀孝は自身が高校時代に日高線を利用して通学していた一人だそうだ。その稲塚氏が廃線の報を聞いてドキュメンタリーを撮ろうと思ったようだ。 

 日高線の不幸は単に不採算路線だったというだけではなく、海岸線を走る鉄路のために2015年1月の高波で線路が被災してしまったことにより、その復旧費用が重荷となったこと、そしてたとえ復旧したとしても採算が取れる見通しが立たなかったことにより、5年にもわたってJR北海道と沿線自治体とが協議する中「廃線止むなし」という結論に至ってしまったとのことだった。

 ドキュメンタリーは2019年12月から撮影を開始したということだが、ドキュメンタリーとしては「やゝ弱かったかなぁ」というのが偽らざる思いである。というのも、列車が走る往時の日高線の様子が描かれているところが僅かしかなかった点がある。また、2015年の被災当時は沿線住民の方々も日高線の復旧を固く信じていたのではないかとの思いが私にはあるのだが、画面からは沿線住民が地域から鉄路が無くなることへの無念さは伝わってこず、すでに諦観してしまったかの様子しか伝わってこなかった。唯一、廃線に最後まで反対し続けた浦河町長の無念な表情だけが印象に残るドキュメンタリーだった。                                                         

 ドキュメントは廃線のことだけでなく、周辺住民の生活(コンブ漁師、サラブレット生産者、いちご農家、等々)の様子を描くが、そこでは廃線のことを語ることはなかった。また廃線を受入れ、廃線跡の活用を志向する住民の姿も追ってはいたが、それが廃線を考えるうえで何を語ろうとしているのか、私には今一つ理解できなかった。

 北海道の鉄路は今大変な危機的状況を迎えている。1964(昭和39)年当時、道内の鉄路は約4,000kmあったそうだが、現在はそれが2,500km程度まで短くなり、今なお多くの不採算路線を抱え、将来は1,200km程度になるのではないかと囁かれている。今春私は函館本線に二度ほど乗車した。早朝の便ではあったが、乗客の姿は数えるほどでまるで空気を運んでいるような状況だった。おそらく函館本線はJR北海道にとっては基幹路線だと思われるのだが、それがこのような状況では本当に心配である。

 実は私自身も過去に直接ではないが二度の廃線を体験している。一つは、監督の稲塚氏同様、高校時代に通学に利用していた国鉄相生線(北見相生駅~美幌駅間 38.6km)が早くも1985(昭和60)年4月に廃線になっている。その頃私は同じオホーツク管内で仕事をしていたが、すでに実家を離れていたため直接廃線を感ずることはなかったのだが…。 

 今一つは、国鉄地北線(北見駅~池田駅間 140km)の廃線である。私は地北線の停車車駅の一つ置戸駅がある置戸町で職についていたが、地北線は1989(平成元)年6月に国鉄民営化のあおりを受けて、第三セクターの「ふるさと銀河線」に移行されたが、それも長くはもたず2006(平成18)年廃線となった。これも私は1980(昭和55)年に置戸町を離れているため、直接には第三セクターへの移行、また廃線には関わってはいない。

 笑えないエピソードがある。私が置戸町を離任するとき駅頭で皆さんの見送りを受けた。当時は皆が転勤する際は駅頭で見送る習わしがあった。しかし、時代はすでに車社会だった。私は置戸駅で見送りを受け、次の駅で列車から降り自家用車で次の任地に向かったのではある。私にはこそばゆい思いが残ってしまった…。

          

          ※ 監督の稲塚秀孝氏です。

 ドキュメンタリー映画「日高線と生きる」は、人口減によって疲弊する北海道の地方の現実と、すでに我が国が車社会に移行してしまい鉄路の使命が終わりつつあることを写し出している映画だったように思えた…。         


札幌景観資産⑫  指定第29号 「岩佐ビル」

2021-11-05 15:54:40 | 札幌景観資産巡り

 サッポロファクトリーと道路を挟んで向かい合っているレンガ色のビルが「岩佐ビル」である。外見からはそれほど古さを感じさせないが、内部に入るとレトロ感を感じさせてくれる造りだった。

※ 外観もどことなくレトロ感を感じさせます。

 「岩佐ビル」は北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)から続く北3条通に面して、サッポロファクトリーと道路を挟んで向かい合っている。ビルはレンガ色をしているがレンガ造りではなく、鉄筋コンクリート造りである。   

 建物は当初(昭和25年)ラムネ工場として建設されたが、工場の役割を終えた後はテナントビルとして現在まで使われてきた。建物を外から見ると3階建ての長方形の形をしていて特別特徴はないように見えるが、中を拝見するとビルには中庭がありロの字型のビルとなっていて、中庭からは屋上に造られた駐車場に続く斜めの通路が造られていた。

※ ロ型のビルの中庭です。右手に屋上の駐車場に続く通路が造られています。

 私は以前、その中庭の方に入口がある演劇小劇場「BLOCHというところで大学の演劇部の公演を観賞した経験があった。

 今回訪れた際には、共用部分を若干見せていただいた。内部にはたくさんの会社の事務所が入居しているようだったが、なるほど廊下は時代を感じさせる雰囲気が漂ってはいた。しかしそれも考えようによってはレトロモダンな雰囲気と言えるものでもあった。

※ 2階の廊下です。扉の中は入居している会社の事務所と思われます。

※ 3階の廊下です。左の壁に入居している会社名が掲示されています。

  

※ 廊下には写真のように各事務所別の電気メーターがありました。このあたりが昭和中期の造りの典型かもしれません。

 周辺にはサッポロファクトリーに隣接する永山記念公園内に「旧永山武四郎邸」や「旧三菱鉱業寮」などもあり、北3条通は旧赤れんが庁舎に続く「札幌通」とも称されて札幌の発展に重要な位置を占めたところであり、「岩佐ビル」をはじめとして歴史的建造物が数多くのこる地域としても興味深い。

             

岩佐ビル 情報》

◇所在地 札幌市中央区北3条東5丁目5

◇建設年 1950(昭和25)年

◇構 造 鉄筋コンクリート造

◇指定年 2010(平成22)年3月30日

◇その他 共用部分のみ内部見学可  ※管理人の許可が必要

◇電 話 011-281-3181 

◇訪問日 2021年10月24日


札幌交響楽団クラシック & ポップスコンサート

2021-11-04 16:36:28 | ステージ & エンターテイメント

 昨日(11月3日)、ちょっと文化の日らしい過ごし方をしてみた。ビゼーの「アルルの女」、ラヴェルの「ボレロ」、そして懐かしの映画音楽と、私のレベルにちょうど合った選曲の数々で大いに楽しめたコンサートだった。

        

 コンサートの冠に「北海道信用金庫」と付いていたが、立派に有料(2,500円)で私に与えられた席は演奏陣を横から眺める席だったこともあり、それほどの割安感は感じなかった。(しかし、そのことが後から思わぬ幸運を呼んだのだが…)

 当日のプログラムをまず紹介すると…、

《パイプオルガン独奏》

◆幻想曲 変ホ長調/サン=サーンス

《札幌交響楽団》

◆オープニング 虹と雪のバラード/村井邦彦(作詞:河邨文一郎)

【第一部】クラシック ~華やかな「アルルの女」と熱狂の「ボレロ」~

◆「アルルの女」より パストラール~メヌエット~ファランドール/ビゼー

◆ボレロ/ラヴェル

【第二部】ポップス ~元気が出る映画音楽~

◆「ロッキー」メロディー/ B.コンティ

◆ ひまわり/H.マンシーニ

◆「ゴジラ」タイトル・テーマ/伊福部昭

◆「ジュラシック・パーク」よりテーマ/J.ウィリアムズ

※ アンコール

◆ラデイッキー行進曲/ヨハンシュトラウスⅠ世

 一覧いただくと、割合親しみ深い楽曲が並んでいることに気が付かれると思う。本当のクラシックファン、オーケストラファンの方には物足りないと思われるかもしれないが、私のレベルではちょうど良い選曲だった。

    

※ コンサートの指揮を務めた現田茂夫氏です。

 楽しめたコンサートの中でも私が特に気に入ったのは次の3曲だった。

 1曲目はオープニング曲の「虹と雪のバラード」である。繊細なヴァイオリンの主旋律が流れると、1972(昭和47)年の頃の高揚した情景が鮮やかに蘇った。私は大学を卒業して職を得て2年目の冬だった。日本の経済は右肩上がりで、誰もが未来に夢を抱いた時期だった。当時私は札幌市民ではなかったけれど、作詞された河邨文一郎氏が「町ができる 美しい町が」、「生まれかわるサッポロの地」と謳ったあの時代が走馬灯のように私の中を駆け巡ったひと時だった。

 2曲目は、「アルルの女」のメヌエットである。あの優しい、そして何度も聴いたメロディがフルートの優しい調べが会場内に流れたひと時はほんとうに心が豊かになった思いだった。

 そして3曲目はラヴェルの「ボレロ」である。この演奏が始まる前にパーカッション担当の女性がいつもの場所とは違いステージの中央付近まで出てきたのだ。そこはちょうど私の目の前だった。彼女はスネアドラム(小太鼓)の担当である。演奏が始まると、フルートの静かな調べに乗せて、スネアドラムの音が微かに響いてきた。私の耳に微かに届くような繊細な音で一定のリズムを刻み続けた。微かな響きを一定のリズムで奏でるのはかなり難しい技術が必要されるのではないか。そのリズムは時と共に徐々に、徐々にその音を大きくしていった。同じ一定のリズムを刻みながら…。結局、スネアドラムは「ボレロ」の演奏時間のおよそ15分間、ひと時も休むことなく最後には体いっぱいにステックを叩きつけるような演奏となって終えた。私は間近でプロ奏者の凄さを目撃した思いだった。

 もちろんその他の映画音楽も良く耳に馴染んだ曲ばかりで、十分に満足するコンサートだった。

 北海道信用金庫では来年も11月3日に同様のコンサートを計画しているという。今回と同じような選曲のコンサートなら次回も足を運んでみようと思わせてくれた札響クラシック & ポップスコンサートだった。


札幌市資料館「朗読と語りの会」

2021-11-03 15:57:45 | ステージ & エンターテイメント

 昨日、札幌市資料館創建95周年記念イベントは「歴史的建造物模型展」の他、もう一つのイベントがあった。それが「朗読と語りの会」である。内容的に平たく言えば「絵本の読み聞かせ」である。幼い日に還って母親たちの語りに耳を傾けた。

        

 札幌市資料館創建95周年記念イベントはさまざまなイベントが用意されている。私はその中のいくつかに参加することにして申し込みを終えているのだが、昨日はたまたま二つが重なってあったということなのだ。

 さて「朗読と語りの会」については、内容をあまり承知しないまま参加申し込みをしたのだが、内容的には次のようなことだった。出演は、山の手図書館で読み聞かせボランティアの活動をしている「おはなしかご」というグループの皆さんが登場した。「おはなしかご」は以前にも札幌市資料館で同じような催しをしたことが縁で今回招請されたということだった。

 プログラムは、前半が朗読、後半がお話し会(ストーリーテリング)となっていた。

 朗読は坪谷京子作の「さっぽろむかしあったとさ〈道央編〉」から「夢で拾われたテミスの女神さま」が朗読された。テミスとはギリシア神話に出てくる法と掟の女神であるが、札幌市資料館の正面玄関上部のところにも目隠しをした女神テミス像が刻まれている。そのテミスにかかわり札幌で言い伝えられていたことを坪谷京子氏が物語化したものが読み上げられた。この題材を取り上げたのはやはり札幌市資料館(札幌提訴院)が創建95周年を意識したものだったのだろう。読み手の方は約30分ほどの内容を一字一句間違えることなく、聴きやすい声音で話された。

   

※ 会場の片隅に置かれていた女神テミスのブロンズ(?)像です。

   

※ それを近撮してみると、確かに目隠しされた像でした。

   

※ 札幌市資料館の玄関上部のところに確かに目隠ししたテミスの像がありました。

 休憩を挟んで後半のお話し会(ストーリーテリング)が行われた。こちらは文字どおり絵本の読み聞かせだったが、ストーリーテリングとはお話の内容を暗記して聞き手を見ながら話す手法のようである。短い五つの話を話し手が次々と交代しながら話された。私はストーリーテリングを聴きながら、幼いころに祖母から寝物語にいろいろな昔話を聞いたことを思い出しながら心の安らぎを憶えたひと時だった。

   

※ お話し中の写真はNGだと思われたので、その前にステージを撮っておきました。

 ちょっと残念に思えたのは話し手の方々の表情が無表情だったことだ。おそらく相当に緊張されていたことと思う。できれば本を手にしないで聞き手に顔を向けているのだから、表情を豊かにされ、さらには空いた手も有効に使って、全身でお話の中に聞き手を惹き込むような工夫をされるとさらに素晴らしいお話し会になるのでは?と思ったのだが、それはどこの馬の骨とも分からぬ親爺のいらぬお節介か?                   


札幌市の歴史的建造物模型展

2021-11-02 18:27:42 | 作品展・展覧会等

 札幌市資料館の創建95周年を記念して各種のイベントが開催されている。そのイベントの一環として札幌市の模型製作愛好家が制作した歴史的建造物の模型展が資料館で開催されていると知って訪れてみた。

   

        

 札幌市資料館は札幌提訴院として1926(大正15)年に開院したが、その後幾多の変遷を経て現在は当時の姿を伝えつつ札幌市資料館として活用されている。その資料館の建物が建てられてから今年で95周年ということで各種イベントが開催されているということだ。

 「歴史的建造物模型展」は市内で理容師をされている佐々木泰之氏が趣味として取り組まれているようである。氏の模型製作の素晴らしさは道内外に知れ渡り、各地で展示会を開催され、2008年には洞爺湖サミットの会場にも展示されたそうである。

 それでは早速、佐々木氏の制作した歴史的建造物の模型を順次紹介したい。(なお、一言コメントは作品の傍に添え書きされていたものを転写したものです)

◆札幌市資料館(旧札幌提訴院)

   

 大正15年に札幌提訴院として誕生し、今の高等裁判所にあたる提訴院は全国に8ヵ所設けられましたが、現在では札幌、名古屋だけに建物が残されている。軟石(札幌軟石)を使った建物としては全国的に貴重な建物です。縮尺は1/100です。

 なお、こちらの建物はたばこの空き箱2,200個を使用し、制作に5カ月を要したと添え書きがあった。

◆札幌市資料館(旧札幌提訴院)

   

 こちらの模型には材料、制作期間は明示されていなかったが縮尺は同じ1/100だと思われる。

◆八窓庵

   

 江戸時代前期、建築当時の大名茶人、小堀遠州が江州(滋賀県)小室郡小室城内に建てた三大茶室の一つで、八つの窓があるのでその名が付けられた。大正8年に札幌市内に移築され、昭和46年に現在地の中島公園内に移されました。縮尺は1/30

◆旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)

   

 明治5~17年まで札幌の唯一の通行屋として旅行者などの宿泊、休憩に供した官営の旅館である。現在は地域の資料館として活用されている。縮尺1/100

◆開拓使本庁舎

   

 明治6(1872)年建築。明治初期の札幌に建てられた日本の洋風建築を代表する建物で、築6年で失火焼失した開拓使時代の名建築です。ドーム屋根の銅板葺きは旧松前城天守閣の解体材を使用しました。現在は北海道開拓の村に再現されています。縮尺1/100

◆旧札幌農学校演武場(札幌時計台)

   

 札幌農学校の講堂を兼ねた兵式教練場として明治11年10月16日(1878年)落成。明治24年時計塔が完成。開拓使工業局によって建てられた洋風建築物。縮尺不明。

◆豊平館

   

 明治13(1880)年竣工。北海道開拓使が建てた洋式ホテルで中央区北1条西1丁目に建てられました。現在は中島公園内に移築保存されています。縮尺不明。

◆清華亭

   

 明治14(1881)年建築。札幌で最初の公園「偕楽園」の中に造られた貴賓接待所として建築されました。縮尺1/60

◆旧有島武郎邸

   

 作家有島武郎が札幌で最後に住んでいた家(北12西3)後に北大の有島寮として長く使われ、1986年に札幌芸術の森オープンに合わせて移築されました。縮尺不明

◆旧永山武四郎邸

   

 明治13(1880)年建築。第2代北海道長官永山武四郎が屯田事務局長時代に私邸として建築したものです。縮尺1/100

◆旧北海道庁本庁舎(現赤れんが庁舎)

   

 明治21(1888)年建築。アメリカ風ネオバロック様式で当時最大の官庁建築物です。現在、北海道庁の敷地内に現存し、赤れんが庁舎として親しまれています。縮尺1/100

 以上が展示されていた全作品である。どれもがとても緻密に作られていて一見の価値がある作品ばかりである。模型展は本日から始まり、7日(日)まで開催されるそうだ。機会のある方はぜひ覗いてみることをお勧めします。


「秋の円山公園」観察会

2021-11-01 18:02:49 | 環境 & 自然 & 観察会

 今秋三度目の自然観察会への参加である。今回のテーマは「木の実と紅葉」ということだったが、植物に対する造詣の深い指導員の案内によって興味深く木の実のことなどを伺うことができた。

   

 昨日(10月31日)、北海道自然観察協議会の主催による「秋の円山公園」観察会が開催され、参加してきた。参加者は18名程度だったが、ほとんどが主婦層の方々だった。指導者が3名いたために3グループに編成されたが、私のグループの6名は私以外は主婦層の方ばかりだった。(一人の主婦に付いてきた小学3年生の子がいた)指導者の方は植物に対する知識が大変豊富な方に見えた。そしてグループに付いてきた小学生への対応をうかがっていると、学校の教師をされていた方かな?と思わせる方だった。

 観察会はいわゆるメインの円山公園ではなく、坂下野球場の周囲の円山自然林の近くの森を散策するものだった。以下、私が書き留めることができたメモと写真によって観察会の様子を書き起こすことにする。

◆ツタ(ナツヅタ)

 秋になって紅葉するのが一般的なツタでナツヅタと称されているという。一方で紅葉しないツタをフユヅタと称するそうだ。ツタは他の木に寄生する植物であるが、寄生した木の周囲を巻くようにして樹液を吸収するのではなく、自ら地中から水分や養分を吸収するために寄生した木に害を及ぼすものではない、との説明だった。

 そのツタの蔓に実を見つけてくれた。山ブドウの実より小粒の実だった。

   

   

◆シンジュ

 別名ニワウルシとも称される木であるが、木の全体像を写すことは出来なかった。写真はシンジュの種子である。シンジュの種子は写真の翼のような形の真ん中にあり、翼でもって母木より遠くに飛んでいける仕組みを持っている。

   

◆アカマツ

 アカマツは北海道に自生する樹木ではなく、円山公園は明治時代に「円山養樹園」として北海道に適した樹木を探るための樹木試験場の目的をもっていたために、本州から移植したものが今に繋がっているとの説明だった。円山公園内にはそうした樹木がけっこうあるようである。独特の木肌をもったアカマツは北海道ではなかなか見ることのできない樹木である。

 なお、アカマツの木の肌が一部剥がれてしまっているものがあったが、お聞きすると特に問題は無いとのことだった。

   

   

◆チョウセンゴヨウ

 この木も全体像を写すことは出来なかったが、独特の種子が珍しかった。チョウセンゴヨウは松の一種であるから種子はマツボックリなのだが、形がちょうどパイナップルのような形をしているのが面白い。このマツボックリの中の実をリスたちが好んで食べているようである。

    

◆ユリノキ

 この木も全体像は撮れなかったが、種子が面白い形をしている。この細長い種子の一片一片が剥がれて周りに散っていくという。

   

◆ブナ

 ご存じのブナである。このブナも群生しているのは黒松内が北限ということで、札幌で見られるのは移植したから見られるとのことだった。ブナの実も見せられたのだが、残念ながらカメラには収めることができなかった。

        

   

◆カツラ

 円山公園内には大きく育ち、すでに老木化したカツラをたくさん見ることができるが、写真のカツラもその一つである。説明では最初の代の親木はすでになく、見られるカツラの木は ひこばえ” のものだそうだ。指導員の方がカツラの種子を見せてくれた。写真の種子は大きさ1mm程度である。そんな小さな種子が天を衝くような大木になる自然の不思議を感じさせてくれた。( “ひこばえ” とは、切り株や木の根元から出る若芽のこと)

   

    

◆スギ

 この木もまた円山公園が「養樹園」だったことをうかがわせる樹木である。スギの木は北海道神宮の神社木として植樹されたそうである。スギが植わっている所は円山川という小さな流れのほとりである。スギの木は水分を大量に必要とする木のため、流れのほとりに植えられたそうだ。

   

◆サワラ

 ここからは円山川のほとりから、丘の上の北海道神宮内に歩を進めた。

 そこに植えられていたのがサワラである。これも神社木として植えられたそうだ。スギに対してサワラは水分をそれほど必要としない木なので丘の上になる北海道神宮内に植えられたようだ。スギの木もサワラの木もスクッと真っすぐに伸びているのが特徴である。神社木としてはそのような木が好まれたということだろう。

   

 この他にもいろいろな木、種子、実を紹介されたが、聴き取れなかったり、メモしきれなかったりしたものも多かった。この日私たちが足を踏み入れたところは、私は普段あまり足を踏み入れないところである。しかし、興味深い木々が植わっていることを改めて知ることができた。観察会は四季毎に開催されているという。できればこれからも参加できれば、と思っている。

   

 なお、この日は2度ほどエゾリスが私たちの前に姿を現したが、動きが早くカメラに収めることができなかったのは残念。