鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

1年と4か月ですね、

2012-07-11 16:31:39 | 思いつくまま

 一昨日きのうととってもいい天気でした。きょうは薄曇りで蒸し暑い感じです。

 

 きのうは夫婦で金魚の水槽を綺麗にしてやりました。 メダカは居なくなりましたし、金魚も元気がなくなったので、お天気もいいし、人間と金魚が心機一転綺麗にすることにしました。 底の石もぬるぬるしていたので、さっぱりとしてやり、ガラス面もピカピカにしました。 心なしか?金魚は元気を取り戻したように感じました。 それにしてもたくさんのメダカはどこに行ってしまったのでしょうか?不思議です。

 そして昨日10日は仙台空襲から67年目でもありました。 父と母が幼い娘二人を連れて評定河原の方に逃げたということは、一昨年のブログに書いた通りです。そのとき両親が逃げ切れなかったとしたら、私は生まれていないことになります。こうしてブログなるものを書き続けているなんてことはなかったことになります。

 山田五十鈴が亡くなったというマスコミ報道がありました。大女優ということはその通りですが、個人的には山田五十鈴よりも嵯峨三智子の方が印象が強烈です。美人薄命を地でいった人ではないかと勝手に思っているのですが、若い身空には、とにかく綺麗だった、身震いするほど美しかったという記憶しかないのです。人を悩殺するくらい絶世の美女だったといってもいいでしょうか。

 

 2012年7月11日。東北地方太平洋沖地震から1年と4か月が経過してしまいました。 もうすっかりほとんどの国民のみなさんは忘却しているのではないでしょうか。やむを得ないことではあります。被災県の者としてもややもすれば、あっそうなんだ、と思うことがありますので。 嬉しいことは北九州市の市長はじめ市民の皆さんが、がれき処理に多大な協力をしてくれることです。ありがたいことです。

 でも、東京電力福島第一原子力発電所はいったいどうなんるのでしょうか?心ならずも原発難民となってしまった福島県民のみなさん、ふるさとが、ふるさとの絆が引き裂かれてしまったのですから。戻りたくても、ふるさとに帰れなくなってしまったのですから。こんな不条理なことがあっていいのでしょうか。

 7月から一緒に交通指導隊員として活動している50代の方ですが、彼は原発のある町から近くに避難してきた人です。人の役に立ちたいということで、応募したというのです。頭が下がります。家の周辺には公務員住宅やNTT関係の住宅があり、空いていた部屋は福島県から避難してきた人たちが利用しています。 またなぜか今年は鮎釣りをしていても、福島県から釣行している人たちによく会います。

 人災による原発事故のことだけは、どんなことがあっても忘れるべきではないと肝に銘じています。 東電、許すまじ! です。

 このブログで何回も紹介している、石巻の大川小学校ですが、大津市の教育委員会同様、石巻教育委員会も情報を隠しています。操作しています。 都合の悪いことを隠し通そうという隠蔽体質が透けて見えます。残念なことです。 子どもたちから”山に逃げよう”という提案があったのに、それを生かせなかったことが本当に返す返すも残念でなりません。悔しいです。

 

 またまたきのうのことです。夕方1時間ばかり美術館下の瀬に入ってきました。 しかし、ご想像の通り全くかかりませんでした。 上流から右岸側を釣り下ってきた人もいたのですが、彼も掛かってはいませんでした。同病相哀れむ?。水量は多いくらいです。

 (写真は前にお知らせした、もしかして”日本陸軍の迫撃砲”かと思った大阪砲兵工廠製作の鉄の塊です。撮影はきのうです。)

 

 澱橋上流の瀬や岩盤底は全く滑りません。黒っぽい石は見えますが、はっきりとした苔はついていません。もう少しの辛抱です。

       

 釣りをしていたら、漁協のIさんがやってきました。 5日にこの付近に稚鮎を放流したというのです。 それで納得いきました。 その時のブログに50匹くらいの稚鮎と思われる稚魚の群れがウロウロしていたとお知らせしましたが、多分その時放流されたばかりの稚鮎だったのでしょう。どうしていいか分からないので、あっち行ったりこっち来たりしていたのでしょう。 彼はダムが放水しているので水が豊かなのだ、こんなに豊富なのは珍しいこと、もう少しすれば釣れるようになる、楽しむ期間が長くなる、というようなことを話しました。

 

 何でもウナギを採ろうと、ウナギ採り用の筒を活けていきました。

 

 こちらは2匹の養殖鮎を確保しておいて(=川に活けておいて)、あしたの楽しみにしようと思っていたのに、元気な方のオトリがこともあろうに根掛かりしてしまい、回収不可能となってしまいました。 それで弱ったオトリ1匹を活けて、帰宅したということです。

 (写真の鉄製の物は一体何なのでしょうか?)

コメント (2)
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