朝から小雨・霧雨・粉糠雨。 気温は7度から8度くらいです。
こういう雨は部屋から見て居る分にはそれなりに趣があるのですが、実際に外に出ていくとなるととっても性質の悪い?雨と言わざるを得ません。
雨にいい雨も悪い雨もないはずですが、そこは人間の身勝手さ、人間の尺度で考えてしまいます。
いくら傘を差しているとはいっても、腕や裾はびっしり濡れてしまいます。時期によってはしっとりといってもいかな。
今マスコミは11日で丸4年を迎えるという東日本大震災で(失礼な言い方ですが)賑わっています。 特に新聞は1週間くらい前から大々的に取り上げています。 確かに見るべき、読むべき記事もあります。
(写真の花は堤防に咲いている、咲こうとしている花です。)
それでも11日が過ぎてしまうとあと一年間は静かなものとなってしまいます。
でも、仙台は14日から18日まで「国連防災世界会議」が開催されますので、何とかしてその会議を契機に国内だけではなく広く国際的にも、2011年3月11日を記録・記憶して忘れ去られないようにしなければ、会議を開いた意味がありません。
4年前のブログを開いてみました。
「2011年3月9日のブログ」より(抄);
あした10日、3月10日は東京大空襲、大殺戮の日です。広島・長崎とともに日本人として忘れるわけにはいきません。一般国民を、逃げ道を塞いでの焼夷弾攻撃、まさに殺戮です。非戦闘員を殺すためだけの攻撃にほかなりません。焼夷弾攻撃の戦果を見届けるための夜間の無差別攻撃、爆撃です。いくら戦争中とはいえ断じて許せません。
おまけに東京大空襲を立案実行した将軍に、戦後日本は勲章を授与しているのですから話しになりません。どこまで日本人は腐ってしまったのか。自民党の売国奴の無節操な行為。呆れてものがいえません。
最後は大地震です。丁度宮城県の公立高校の入学試験の日でした。まあ、お昼時だからまだ精神的に落ち着いて対応できましたが、これが夜間、熟睡しているときの地震ならこうはいきません。心臓にとっても悪いです。へたすれば心臓麻痺を起こしかねません。
さいわい大きな被害はなかったからよかったものの、本当に地震は恐いです、いやです。これが近々起きるといわれている「宮城県沖地震」であれば良かったのですが、そうではないようです。
P.S. 心を落ち着けましょう。それには何といっても川、川の流れです。そうです、広瀬川分流の流れに耳を傾けましょう。
「2011年3月10日のブログ」より(抄);
寒い、冬に逆戻り。 しかも、きのうから地面は揺れてばかり。
早朝というべきか、まだ深夜というべきか、午前3時頃結構強い揺れがあり、目が覚め、逃げる気構えをしながら揺れに耐え、ラジオのスイッチオン。その後はラジオを聞きながら、うつらうつら、悶々として時の過ぎ行くを待つ。
6時には起床。髭をそりながらパソコンを開いてキーを打っていると、またしても強い揺れ。6時20分くらいか。その後も25分くらいにゆっくりとした横揺れの地震。
外は積雪(大したことはないですが)、空気は冷たい。8時前には職場について、そのままほうきを使っての雪かき。これが最後となってくれればありがたいのですが、それは叶わぬ願いというべきでしょう。雪かきは筋肉痛を伴います。
もう仕事の前に疲れてしまいました。嗚呼、情けなや・・・
3月11日午後2時46分にM9の地震が発生したわけですが、その前々日、前日にも大きな地震があったのです。 とくに9日の地震は、これが来る来ると言われ続けたきた「宮城県沖地震」かと多くの人が思ったくらい大きな揺れの地震でした。
でもそれは所詮は前兆だったのでしょう。
4年前の3月9日と10日のブログを見る限りでは、もっと巨大な地震が来るなんてことはまったくもって予想だにしませんでした。 正直なところは、もう蓄積された大きなエネルギーは放出されたのかもしれないと思っていました。
一気に地震が収まることはなく、やや大きな地震が何回か起きてそれで収まるのではないかと思っていたはずです。
それが、・・・・・