鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

終わってしまった、マッサン

2015-03-28 14:10:09 | お知らせ

 終わってしまいましたね、NHK朝ドラ”マッサン”。 ニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝とその妻リタ(テレビではエリー)との国籍を超えたウヰスキー造りに掛けた愛情物語。

              

 最初は夫婦で見ていたのですが、いつしかnewoneひとりで見るようになっていました。

 

                 

 余市のニシン漁に従事していた熊虎たちの会津魂も出てきて、なおのこと興味を持ったりしたのですが、やはりニッカ(テレビではドウカ DOUKAH?でしたっけ)ウヰスキーは余市のほかに地元宮城県旧宮城町(現仙台市)にもウヰスキーの工場を持っていたからです。

 (ニッカウヰスキー工場は26日の撮影です。)

 

      

 

          

 40年以上も前の話になりますが、当時のウヰスキーといえば断トツでサントリーでした。サントリーの角もそうですが、何よりもオールドですか、確かダルマという愛称で言われていたウヰスキーがありました。

 

 あまりの売れ行きに、当時からオールドには醸造用アルコールがたくさん使われているのではないか、でなければあんなに出荷販売できるはずがないとまで言われていました。

      

 そういうこともあり、ウイスキーを飲むときには極力サントリーではなくニッカウヰスキーにしていたものです。鮎同様天邪鬼ですから。 せいぜいブラックニッカだったかな。たまにスーパーニッカも飲んだことがあったりして・・・。

                           

 でもその当時のあこがれはジョニーウオーカーだったかな。ジョニ赤とジョニ黒がありましたね。半分以上は税金だったようですが、ジョニ赤のほうが安かったかな。高嶺の花の輸入ウイスキーでした。

      

 きょうで放映は終了したのですが、最後の台詞は、『この手、離すなよ』でした。 終わりの言葉としてはなかなか味わいのある言葉と感じました。 その二日前だっかな、いよいよエリーが御臨終のときの言葉 『死ぬことも新しい冒険』 、これもいい言葉ですね。終活を考え始めている身としてはよくよく味わっておかなければならない言葉のように感じました。

                             

 振りかえればエリーの好きな言葉とでもいうか、よく発する言葉に 『大丈夫、大丈夫』という言葉がありました。 将来に不安や心配があっても、臆することなく前に進みなさい、何とかいい方向に行きますという励ましの言葉でしょうか。

      

 

 何という天気でしょうか!!部屋の中が暑いくらいに感じます。22度くらいあるかな。 予報では19度とかで、きのうの18.7度よりも暖かくなるということでした。

   

 広瀬川分流の流れは”春の小川”と言った感じです。

   

 草や木々の目は今か今かと満を持して待っているようです。

          

  

 水は透き通り、陽射しを浴びてキラキラと照り返し、早く魚が集まってくるのを待っているかのようです。

    

     

 きょうも飛行機雲がたくさん見られました。 みなさん、意識して空を見上げていますか?やはり、上を向いて生きること、笑顔を絶やさないこと、大切なことですね。

 

 飛行機を見ると、無性に乗ってみたくなります。 どこか遠くに行きたい!とううことの表れなのでしょうか。

             

  

            

 


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