私が昭和64年1月6日に免許を取得して初めて運転した車が、この三菱ミニカ(昭和49年式)だった。このクルマは通称ともくんと呼ばれていた私の叔父さんが使っていたモノで、1ヶ月程私のアシとして借りていたものだ。
それまで教習車しか知らなかった私が初めてこのクルマに乗った時の驚きはもう尋常ではなかった。シートベルトは2点式だし、ローのギア比が低すぎるのか、発進すると直ぐに吹け上がってしまい、直ちにセカンドに入れてあげなければいけない。加えて360cc時代の軽ゆえ、トルクが足りずセカンド発進は不可能。サードに入れるにはセカンドで引っ張って充分回転を上げてやらないと失速してヘロヘロになってしまう。信号待ちではエンストしそうになるので、つま先でブレーキを踏みながらかかとでアクセルを吹かして回転を上げてやらねばいけない。直進性は無く、時速40km/hでフラフラする。
運転するのがとても忙しいクルマで、実際このクルマの行動半径は実に狭く、生協で共にバイトをしていた小林君(仮名)を家まで送ってあげるのがやっとのことであった。その実用性は夏の自転車以下だったと言えるだろう。初心者の私は、恐くてとてもこのクルマで通学しようなんて思えなかった。だが、それから16年経った今となっては、もっとこのクルマで冒険すべきだったとちょっと後悔している。
それまで教習車しか知らなかった私が初めてこのクルマに乗った時の驚きはもう尋常ではなかった。シートベルトは2点式だし、ローのギア比が低すぎるのか、発進すると直ぐに吹け上がってしまい、直ちにセカンドに入れてあげなければいけない。加えて360cc時代の軽ゆえ、トルクが足りずセカンド発進は不可能。サードに入れるにはセカンドで引っ張って充分回転を上げてやらないと失速してヘロヘロになってしまう。信号待ちではエンストしそうになるので、つま先でブレーキを踏みながらかかとでアクセルを吹かして回転を上げてやらねばいけない。直進性は無く、時速40km/hでフラフラする。
運転するのがとても忙しいクルマで、実際このクルマの行動半径は実に狭く、生協で共にバイトをしていた小林君(仮名)を家まで送ってあげるのがやっとのことであった。その実用性は夏の自転車以下だったと言えるだろう。初心者の私は、恐くてとてもこのクルマで通学しようなんて思えなかった。だが、それから16年経った今となっては、もっとこのクルマで冒険すべきだったとちょっと後悔している。