DVD『スケアクロウ』
ジェリー・シャッツバーグ監督、1973、『スケアクロウ』、ワーナー・ホーム・ビデオ
アマゾンでセールがあったので、手に入れた。その昔、見たような見なかったような、あまり記憶がない。1973年発表のアメリカのロードムービー。
アル・パッチーノとジーン・ハックマンが若々しい。物語の筋といってもたいしたことはない。いくつかのエピソードが繰り返される。刑務所で6年過ごし、その間、勤めを終えたら洗車屋をやろうと机上の計画をしていたマッックス(ジー・ハックマン)がヒッチハイク途中、放り出してきた妻子にあおうとピッツバーグに向かう船乗りのライオン(アル・パッチーノ)に出会い、二人が西部へと向かう。
この頃の映画のひとつのパターン、救いに向かって行動するが、うまくは行かないという。そして、ロードムービーという定番なのだけれど、今見ても、テーマとして古びていないと思う。救いがなく、繰り返され、向かう方向がとりあえずはあるようだけれど、そこにたどり着いたら、どこかに向かって再び旅立つような、エンドレスな雰囲気。
スケアクロウとは「案山子」のこと。案山子は人間に代わって田畑の収穫物を食べにやってくるカラス(スケアクロウの「クロウ」は「カラス」、スケアはおどす)を追い払ってくれる。人間の格好をしているけれど、人間じゃない。人間じゃないことがわかると案山子のまわりでも平気でカラスたちは収穫物を食らう。
主人公の二人は、どっちも、案山子。人間としてみて世間から外れている。それでも二人は、なんとか人間になろうとしている。マックスは刑務所から出てきたばかりだけれど、刑期中に考えた洗車業で一人前になろうとしている。ライオンは、家族を捨てて船員としてさまよってきた。それは、男の子か女の子かわからないけれど、自分の子を訪ね、プレゼントを渡したいから。
マックスの扮装が面白い。何枚もシャツやパンツを重ね着している。映画の冒頭、彼は畑の中から現れて、相棒のライオンに出会う。まさに、案山子なのだ。案山子の中は木の棒、そこに古着を着せて藁を詰め込み、人間のふりをする案山子なのだ。かれは、暴力的で自己中心的で自分の世界に生きている。
しかし、コンビを組んで旅をしていくうちに、単に粗暴な男ではなく、心優しい男の側面を見せていく。別れた妻から、子どもは死んだと電話で告げられ(本当は死んでいない)、精神に不調を来したライオンを助けようと懸命になるマックス。エンディングは、金を受け取りにシカゴに向かおうと切符を買うシーンだ。金はもちろん、心を病んだライオンのために使うのだ、たぶん。
案山子は両義的存在のシンボル。人間のようで人間じゃない。人間からはでくの坊として扱われ、人間とはもちろん見なされない。カラスははじめのうちは人間と思ってくれるが、やがては、なれてくると人間と見なさなくなる。何ともかわいそうな存在なのだ。人間になろうとする案山子、しかし、きっとなれないんだろう。主人公たちを応援したくなるのだけれど、やっぱり、無理かなと、心を打つというしかけ。
Allcinema:スケアクロウ:http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=11800
アマゾンでセールがあったので、手に入れた。その昔、見たような見なかったような、あまり記憶がない。1973年発表のアメリカのロードムービー。
アル・パッチーノとジーン・ハックマンが若々しい。物語の筋といってもたいしたことはない。いくつかのエピソードが繰り返される。刑務所で6年過ごし、その間、勤めを終えたら洗車屋をやろうと机上の計画をしていたマッックス(ジー・ハックマン)がヒッチハイク途中、放り出してきた妻子にあおうとピッツバーグに向かう船乗りのライオン(アル・パッチーノ)に出会い、二人が西部へと向かう。
この頃の映画のひとつのパターン、救いに向かって行動するが、うまくは行かないという。そして、ロードムービーという定番なのだけれど、今見ても、テーマとして古びていないと思う。救いがなく、繰り返され、向かう方向がとりあえずはあるようだけれど、そこにたどり着いたら、どこかに向かって再び旅立つような、エンドレスな雰囲気。
スケアクロウとは「案山子」のこと。案山子は人間に代わって田畑の収穫物を食べにやってくるカラス(スケアクロウの「クロウ」は「カラス」、スケアはおどす)を追い払ってくれる。人間の格好をしているけれど、人間じゃない。人間じゃないことがわかると案山子のまわりでも平気でカラスたちは収穫物を食らう。
主人公の二人は、どっちも、案山子。人間としてみて世間から外れている。それでも二人は、なんとか人間になろうとしている。マックスは刑務所から出てきたばかりだけれど、刑期中に考えた洗車業で一人前になろうとしている。ライオンは、家族を捨てて船員としてさまよってきた。それは、男の子か女の子かわからないけれど、自分の子を訪ね、プレゼントを渡したいから。
マックスの扮装が面白い。何枚もシャツやパンツを重ね着している。映画の冒頭、彼は畑の中から現れて、相棒のライオンに出会う。まさに、案山子なのだ。案山子の中は木の棒、そこに古着を着せて藁を詰め込み、人間のふりをする案山子なのだ。かれは、暴力的で自己中心的で自分の世界に生きている。
しかし、コンビを組んで旅をしていくうちに、単に粗暴な男ではなく、心優しい男の側面を見せていく。別れた妻から、子どもは死んだと電話で告げられ(本当は死んでいない)、精神に不調を来したライオンを助けようと懸命になるマックス。エンディングは、金を受け取りにシカゴに向かおうと切符を買うシーンだ。金はもちろん、心を病んだライオンのために使うのだ、たぶん。
案山子は両義的存在のシンボル。人間のようで人間じゃない。人間からはでくの坊として扱われ、人間とはもちろん見なされない。カラスははじめのうちは人間と思ってくれるが、やがては、なれてくると人間と見なさなくなる。何ともかわいそうな存在なのだ。人間になろうとする案山子、しかし、きっとなれないんだろう。主人公たちを応援したくなるのだけれど、やっぱり、無理かなと、心を打つというしかけ。
Allcinema:スケアクロウ:http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=11800
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