国立民族学博物館「イメージの力」展
国立民族学博物館に「イメージの力」展を見に行った。この6月8日に東京の新美術館でみた同展について書いたことがあるが、残念ながら、新美術館の勝ちだろう。その理由は、会場の空間の利用の仕方である。新美術館の誕生の高い白い壁で区画され、かといって区切られながらも広々とした空間を利用できるのでたくさんの展示品をこれでもかと並べても息苦しくなく、むしろ、作品のそれぞれの個性を対比的に見ることができたように思う。しかし、民博では、ストーリーの展開を意識しすぎたか、展示空間を狭くして回廊式に導線をもうけて最後に大空間を見せるという展開にしたのだが、しかし、博物館らしい展示になったと言えるかもしれないが、新美術館のそれと比べると、ちょっと寂しい。民博の特別展示場は、円柱上の大空間であるので、むしろ、広々とした空間使いができなかったかとおもう。
常設展も駆け足だったが、現在オープンしている展示場を一回りした。久しぶりだった。ごく初期の頃の展示を記憶するものにしたら、フィールドの現状を伝えるという展示は、むしろ、ごたごたした印象を与えるようにおもえる。地域によってスタンスも違って、コンセプトがバラバラな印象もある。初期の展示はヴンダーカンマー方式の展示ではなく、展示品の数を絞り同時に天井の高い大きな空間を用いて展示し、ライティングもむしろ抑えめで、利休鼠の黒っぽい壁面を利用し、壁面の白い美術館的なイメージをも凌駕する強烈なイメージを与えていたと思うのだが、説明文が多く入り、モニターが数多く設置され、また、プレステを通しても説明を聞くことができるシステムが入り、視覚的に障害物が増えた印象だ。
研究博物館なので、展示品や民族文化についての説明は必要なのだが、その必要性に応じて付加するか、どのようなシステムを用いるかは悩ましいところだ。スマホの時代にあっては、必要な人はアプリを利用して、スポット的に情報収集できるようなシステムがいいのではないかと私は考える。説明がある場所どこかや展示品がどれかについても最小限の表示にして、ビデオモニタをなくし、スマホに直接送り込むことはできないだろうか。スマホを使わずに展示品を眺めたい人には夾雑情報はあたえず、また、たくさんの文字情報や映像情報を必要とする人に個別に配信するようなシステムだ。
常設展も駆け足だったが、現在オープンしている展示場を一回りした。久しぶりだった。ごく初期の頃の展示を記憶するものにしたら、フィールドの現状を伝えるという展示は、むしろ、ごたごたした印象を与えるようにおもえる。地域によってスタンスも違って、コンセプトがバラバラな印象もある。初期の展示はヴンダーカンマー方式の展示ではなく、展示品の数を絞り同時に天井の高い大きな空間を用いて展示し、ライティングもむしろ抑えめで、利休鼠の黒っぽい壁面を利用し、壁面の白い美術館的なイメージをも凌駕する強烈なイメージを与えていたと思うのだが、説明文が多く入り、モニターが数多く設置され、また、プレステを通しても説明を聞くことができるシステムが入り、視覚的に障害物が増えた印象だ。
研究博物館なので、展示品や民族文化についての説明は必要なのだが、その必要性に応じて付加するか、どのようなシステムを用いるかは悩ましいところだ。スマホの時代にあっては、必要な人はアプリを利用して、スポット的に情報収集できるようなシステムがいいのではないかと私は考える。説明がある場所どこかや展示品がどれかについても最小限の表示にして、ビデオモニタをなくし、スマホに直接送り込むことはできないだろうか。スマホを使わずに展示品を眺めたい人には夾雑情報はあたえず、また、たくさんの文字情報や映像情報を必要とする人に個別に配信するようなシステムだ。