名古屋池下「當たり屋」(居酒屋)、「Enoteca Il Matto」(ワインバー)

4月に恩師のKS先生の喜寿のお祝いを名古屋で食べたいとおっしゃる味噌おでんを中心にというので企画したのが、今夜の下見のお店。「當たり屋」本店は初めてだが、広小路の南にあった支店の方には20年ほども前に行ったことがある。
「當たり屋」は広小路沿いに昭和50年代ごろまであったという屋台の流れを主張する。私が名古屋に来たのは昭和63年4月だが、そのころ、もちろん屋台はなかったが、今池には屋台街と称してビルの中に屋台風のしつらえの店が並んだ飲み屋街(環状線沿い)や空き地に本物の屋台を引き込んで移動できなくした店があって、そこでは味噌おでんが名物だった。店の名前を忘れてしまったが、空き地の屋台のおばあちゃんのところにはよく通った。おばあちゃんは自身は酒が飲めないのによく酔っ払いの相手をしてくれたと思う。その屋台のあった空き地も、平成10年頃までには駐車場に変わり消滅。屋台街もその後まもなく姿を消した。屋台は冬には風よけのビニールシートで覆われ、足元は寒いもののそれなりに暖かく酒を呑むことができたのだが・・・。なつかしい。
名古屋池下「當たり屋」:味噌おでん、どて焼き、味噌串かつ、焼き鳥(軟骨とせせり)で「立山」をすする。
「Enoteca Il Matto」:こちらは、最近おなじみだけれど、口中のこってりした味噌味を洗い流すのは、しっかりした赤。チーズの盛り合わせとともに、ついついとグラスを6杯も飲んだ。
「當たり屋」は広小路沿いに昭和50年代ごろまであったという屋台の流れを主張する。私が名古屋に来たのは昭和63年4月だが、そのころ、もちろん屋台はなかったが、今池には屋台街と称してビルの中に屋台風のしつらえの店が並んだ飲み屋街(環状線沿い)や空き地に本物の屋台を引き込んで移動できなくした店があって、そこでは味噌おでんが名物だった。店の名前を忘れてしまったが、空き地の屋台のおばあちゃんのところにはよく通った。おばあちゃんは自身は酒が飲めないのによく酔っ払いの相手をしてくれたと思う。その屋台のあった空き地も、平成10年頃までには駐車場に変わり消滅。屋台街もその後まもなく姿を消した。屋台は冬には風よけのビニールシートで覆われ、足元は寒いもののそれなりに暖かく酒を呑むことができたのだが・・・。なつかしい。
名古屋池下「當たり屋」:味噌おでん、どて焼き、味噌串かつ、焼き鳥(軟骨とせせり)で「立山」をすする。
「Enoteca Il Matto」:こちらは、最近おなじみだけれど、口中のこってりした味噌味を洗い流すのは、しっかりした赤。チーズの盛り合わせとともに、ついついとグラスを6杯も飲んだ。

