今年の9月はじめに書きかけて方ってあったのを見つけたので、アップしておこう。
『復活の日』が単行本で出版されたのが1964年8月、わたしは、中学生3年だった。わたしは『SFマガジン』も読んでいたSFファンの一人だったので、もちろん出版されたことを知っていた。しかし、どういうわけか、その後も読んだことはなかったのではないかとおもう。今回、おそらく初めて読んだのではないか。いっぽう、『日本沈没』(1973)は、カッパ・ノベルズで出たし、大学生だったから、たぶん、初版で買って読んだと思う。続編を書く予定だったというが、「第2部」の出版は時間がかかった。2008年6月30日に読後感を書いている(
『日本沈没 第2部』)。
好んで読んでいたSF作家は、もちろん小松左京、星新一、筒井康隆で、SFファンの中でも平凡な読者だったろう。小松左京の作品では、わたしは、『日本アパッチ族』とか『明日泥棒』、『ゴエモンの日本日記』が好みだった。子供の頃、大阪環状線の森ノ宮から京橋にかけての大阪城よりのところの廃墟(砲兵工廠跡)が記憶に残っていたので、『日本アパッチ族』にはリアリティがあった。鉄を喰らって生きていた「日本アパッチ族」という設定やスラップスティックな展開は、子供ながらに面白かった。宇宙人ゴエモンのキャラクタもすきだった。むしろ、小松左京のシリアスな筆致の『日本沈没』や『果しなき流れの果に』(たぶん、「SFマガジン」の連載で読んだ)とか、この『復活の日』は、どちらかといえば、あまり好みではなかったのではなかったか。
2006年9月8日の『SF魂』の書評に同じようなことを書いている。その中では、『日本アパッチ族』よりも開高健の『日本三文オペラ』のほうが面白かったと書いている。
私の家では、両親が書籍や雑誌などを購入している駅前の書店で、子どもたち(妹と私)にも、つけで購入することを許してもらっていた。別に言われていたわけではなかったと思うのだが、単価の安い文庫や新書、雑誌(「SFマガジン」、「少年サンデー」(1959-))を買っていて、単行本には手を出さなかった。漫画は、近所の友人が「少年マガジン」(1959-)を購入し、交換して読んでいた。単行本で出版された『復活の日』には手を出さなかった理由」、それはひょっよしたら、子供なりの倹約意識がその理由であったかもしれないのだが。
2019年以来のコロナ禍たけなわの頃に、『アンドロメダ病原体』は読んだのに、本書を読まなかったのはなぜかわからない。でもまあ、今回改めて読んでみて、たけなわの頃に読まなくてよかったかも。宇宙で採取されたMM菌から生物兵器として開発されたMM-88と名付けられた「核酸兵器」は偶発的な事故により南極にいた各国の探検隊を除き、「人類絶滅」寸前にまで追い込むのだが、この蔓延の記述は本書の半ば頃だが、おそらく、コロナ禍たけなわの頃に読んでいたら、この部分できっとげんなりして読み進めることができなかったかもしれない。エピソードが多すぎて、テンポが悪すぎると感じた。
本書では後半になると当時の東西冷戦下の核戦略にトピックが展開して、ソ連が開発した中性子爆弾による中性子によってMM-88菌は無毒化され、かろうじて、南米南端へ上陸をはたした生き残った1万人の南極探検隊の一部のエピソードでエピローグを迎える。当時は、生物兵器というよりも、原子核兵器のほうが、インパクトがあったので、エピローグにこっちを持ってきたのだろう。