きりたんぽ鍋(きりたんぽ、比内鶏スープのパウチをベースにして、水菜、白ネギ、えのき茸、椎茸、くず、絹ごし豆腐などを、一味で食する。レシピには、セリとかごぼうとかが書かれていたが、ちょっと外れたか)
四方田 犬彦、2007、『先生とわたし』、新潮社
先ごろ読了した同じ著者の『四方田犬彦の引っ越し人生』(http://blog.goo.ne.jp/sig_s/e/afe4b94328517ce6aee830c8df85b339)を読んで、中で触れられている本書をほとんど発作的にアマゾンに発注し、今朝届いたものを、ほとんど発作的に読みとおしてしまった。
著者の師である英文学者由良君美との出会いから別れ(師の死去)まで、また、由良自身と由良の父由良哲次、由良を取り巻く英文学や関係した研究者、ゼミ生(四方田もそのひとり)に至るまで、たくさんの人々の名前が登場して、そのどうこうが描かれる。本書の主題は、著者四方田と師の由良との師弟関係をえがき、師弟論あるいは教師論にあることは言うまでもないが、同時に、20世紀日本の高等教育事情や戦後から1980年代ごろまでの大学事情も読み取ることができて、大変面白い。
偶発的ではあったが、四方田の『引っ越し人生』に引き続いて読んだのも、事情が関連していてこれまた面白かった。ついでに同じ著者の『翻訳と雑神』も同時に購入していて、これもまた、関連してはまりそうである。
こちらは、さらに、今読み始めたが途中とん挫している水村美苗の『日本語は滅びるのか?』と『ユリイカ』の同特集号の四方田のエッセーを読んで金素雲という韓国の翻訳家のことを知って読んでみようかと思った次第。サイードにもつながるし、どうも芋づる式読書というのは、果てしもなく面白いものだ。
2009-02-09 17:12:04 |
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藤沢周平、1982、『密謀(上)(下)』、新潮社(新潮文庫)
直江兼続についての藤沢周平作品。著者は、出身地の江戸期の上杉藩(米沢)を中心に作品を描いてきたが、上杉藩の米沢に至った経緯を語る本書は、作品としても、発端とはなるか。
直江兼続は石田三成との盟約、東西二分の計に応ずることがない。関ヶ原のために西征した徳川家康を追撃することもなく、上杉の拡張を図る。上杉景勝とともに育った直江兼続とはいえ、主の景勝の能力の範囲内で能力を発揮せざるを得ない。天下人の必要な資質(権謀術数)は自分にはないという景勝の範囲内で、上杉の安泰を決着するしかなかった。
とりあえず、直江本を2冊読んだが、若い頃の直江石田の朋輩の契りを中心に描く童門のそれの方が、シンプルでわかりやすい。本書は直江の「草」(忍者たち)の物語をサイドストーリーにえがくのだが。
2009-02-08 20:10:51 |
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ランプステーキ(ランプ肉に塩こしょうしておく。フライパンにオリーブオイルをしいて、赤唐辛子とつぶした任意区を加えて炒めて香りをつける。タマネギを5-8ミリほどに筒切りして炒め、その隙間に、塩こしょうしたランプ肉を入れて表裏軽く焼く。内は赤い方がよい。人参、ジャガイモ、インゲンを塩ゆでにし、仕上げに、オリーブオイルをしいたフライパンで炒める)
大石まさる、2006-208、『水惑星年代記』『続水惑星年代記』『環水惑星年代記』『翠水惑星年代記』『碧水惑星年代記』『水惑星年代記月娘』、少年画報社
11月末に大人買いしてそのまま放置していた。そして、しばらく前に全部読んだけれど、書き漏らしていた。
環境激変(温暖化、水没)、人類の宇宙進出、軌道エレベータ、少年少女の宇宙へのあこがれ、さりげない生き方、オプティミスティックな未来像、こうしたキーワードをベースに描かれた、連作SFマンガのアンソロジー。年代記と題されているが、年代順で描かれる訳ではないので、わかりづらいが、読み続けるうちにつながっている。最終巻の『水惑星年代記月娘』に登場人物相関図と掲載巻数が書かれている。
この連作マンガとであったのは、<404 Blog Not Found>さんの以下のブログをみたからで、購入直後に、軌道エレベータもしくは宇宙エレベータに関する『宇宙旅行はエレベーターで』の書評が続く。
404 Blog Not Found:骨太で柔らかなSF漫画 - 画評 - 水惑星年代記:http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51145371.html
404 Blog Not Found:ロケットは歴史の遺物となるか - 書評 - 宇宙旅行はエレベーターで:
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51146631.html
2009-02-08 13:37:48 |
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午前中仕事で勤務先に行って、午後は、電化製品の買い物で量販店を巡る。
久しぶりに池下「Pizza East」にいく。キノコとジャガイモ、ほうれん草のサラダ。赤大根と豚肉のポトフ、貝いろいろのクリームパスタ。牛テール肉のマデラ酒煮。
イタリアンジェラートなど。
久しぶりにきたのだが、メニューとスタッフがかわっていて。オーガニックな地産地消的なコンセプトと釜焼きピザはかわっていないけれど、イメージが違っていた。
ほうれん草とひき肉のカレー(ほうれん草を茹でて、フードプロセッサーで粉砕しておく。タマネギみじん切りをきつね色に炒め、合い挽きミンチを加え炒め続ける。カレー粉、塩、味をとんがらせるためにガラムマサラ、クミン、カルダモン末を加えて炒める。深鍋にペースト状のほうれん草を入れて、タマネギとミンチを加え、赤ワイン、水少々をくわえて煮込む。仕上げに、サワークリームをくわえる)
キュウリのヨーグルトサラダ(キュウリを薄切りして塩揉み。水分をしぼる。プレーンヨーグルトをくわえて、塩胡椒、ガラムマサラ、クミン、カルダモンを加えてよくあえる)

四方田 犬彦、2008、『四方田犬彦の引っ越し人生』、交通新聞社
著者のいうように、世の中には2種類の人間がいて、生まれた土地からはなれないものと、様々な理由で次々とうつっていくものが入ることは確かだ。著者もそうだが、親の都合で子どもの頃から転居する(もともと、親もまた子どもの頃から転居している)とあまり、居住地への愛着もわかないのかもしれない。
2002年か2003年の頃、小学校のクラスメイトから電話がかかってきて驚いたことがある。彼女とは小学校以来音信不通だったのだが、親の元の職場のつてをたどって、探し当てたらしい。小学校と中学校(学区がほぼ重なっている)の同窓会をやりたいから出てこないかというのである。その同窓会に出かけ、そのあと2005年の3回目の同窓会にもいった。このことは、以前、このブログにも書いたことがある(http://blog.goo.ne.jp/sig_s/e/690c024055993b650dda85228e402698)。
同窓会の世話人をしてくれているのが地元に残った同級生たちである。どのくらいの比率かわからないが、集ってくるのは地元に(小学校の頃と同じ家に)住んでいる同級生や同じ大阪府下に居住する同級生が多数で、私のようなよそ者は少数である。ずっと同じ場所に住んでいて、家業も継いでいる(女性であれば婿養子をむかえるなどして)者もいる。姓は思い出さないが、パーマ屋の○○ちゃんとか米屋の△△さんなんて感じで思い出された。
私は、親の引っ越しで同じ布施市内で一度、奈良市への引っ越しを一度経験したのを皮切りに、ミクロネシアの珊瑚礁の小島に8ヶ月ほど暮らし、帰国後、神戸市、豊中市、奈良市、名古屋で2回の合計9回の引っ越しをしていることになる。それ以外に、数週間から最長6ヶ月、過去24年毎年のように日本を離れている。もちろん、奈良の両親の住む実家は動いていないし、名古屋の自宅もあるので、根っ子はあるのだけれど。
私の生まれたのは大阪だが、両親はよそ者だ。だから、幼稚園や小学校の頃から先の同級の地元の子どもたちと一緒にいても、自分自身がよそ者と感じていた。言葉の違いも大きい。地元の河内弁は近所の子どもたちとの遊びの中で覚えたものだ。だから、家の中の言葉とは違う。今も相手によって使い分けることができる。
著者のように「終の住処は、わたしが最後の書き付けるであろう文章のなかにある」などとかっこ良くは書けないけれど、一体どこなんだろう。いまのところ、いまの住処が終の住処になるだろうとおもってはいるが・・・。
ついでながら、著者は「後記」の中に、オーストラリアのアボリジニの葬制を引いて、葬儀は、死者の死に場所で葬儀を行い、さらに、その前の住処、またその前の住処・・・と何度も葬儀を繰り返すから高齢者が死ぬと大変だと記しているのだが、私の知るところとは少し違うようなので、指摘しておきたい。もちろん、著者が記すような葬制がどこにも存在しないというつもりはない。少なくとも北オーストラリアの海岸近くに住むアボリジニのそれは違う。かれらは二度の葬儀を行う。一度目は亡くなって間もなく行われるもので、葬儀の期間は日本のように短時間ではすまない。数日から1週間ほども要する。二度目は数年経って、白骨化した遺骸を再び葬るのである。その意味では、何年もかかっているようではあるが、日本の回忌という方法は、地方によっては百回忌までも行うそうだから、日本の方が手間がかかっているといえる。もちろん、どんどん簡便化省略化が進むであろうが。
何度も繰り返し回忌が行えるということは、長く定着していることが一つの条件だろう。点々と住まいを移していくタイプの人間にとっては、長く関係を維持していくことは大変だ。そして、いつどこで命を終えるかわからないのだから。

2009-02-06 14:20:08 |
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鶏つみれ鍋(鶏ミンチにショウガ汁、塩胡椒、全卵、片栗粉をくわえて、よく練っておく。土鍋にコーチンスープストックをあけて、水を加える。日本酒、ショッツルをくわえる。白ネギそぎ切りとキャベツ乱切りを最初に入れて煮込んでおく。食べるときに、鶏つみれ、菊菜、舞茸、ナメタケ、豆腐を加えて食す)
ハンバーグ(パン粉を牛乳でふやかしておく。タマネギみじん切り。合い挽きミンチとこれらを混ぜる。全卵を加える。塩胡椒、ナツメグ、チリパウダーを加えて粘りがでるまでよく混ぜる。オリーブオイルをしいたフライパンでじっくりと表裏焼き上げる)
イモサラダ(タマネギとキュウリの薄切りを塩揉みしておく。洗ったジャガイモをラップでくるんで火を通して、熱いうちに皮をむき、すりこぎなどでつぶしておく。インゲンを細かく切ってラップにくるんでざっと火を通す。以上を胡椒とマヨネーズとともによく混ぜる)
小松和彦、2008、『百鬼夜行絵巻の謎』、集英社 (集英社新書ヴィジュアル版)
百鬼夜行絵巻と題された、妖怪がえがかれる江戸期の絵巻物の分類を試みる。本書の8割方がこの謎解きである。たくさんの妖怪の図が示されていて楽しいのだが、これら絵巻の系譜の謎解きが楽しいのは結構限られた人たちではないか。
絵巻の図像がなぜ描かれるのか。動物が擬人化されて妖怪となったり、付喪神のように、古びた物が妖怪に化けるという妖怪化のプロセスが興味ぶかいし、その表現が鳥獣戯画の系譜を引くなどという説も面白い。絵巻の系譜も然り乍ら、日本の妖怪の図像表現についてもっと知りたかった。同じ著者の別の著作に書かれているのだろうか。
2009-02-03 22:46:40 |
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今夜は、外食!ということで、近所のうなぎの「新甫」。
表面カリッ、中はホワッというのが、ここのうなぎ。
長焼き、うざく、肝焼き、まぶし丼、白魚の数の子和え。
豚ロース肉ブロックを白ネギの青みの部分、ショウガをつぶしたもの、ニンニクをつぶしたものとともに茹でておく。このスープをいろいろ使う。
茹で豚(白ネギを白髪ネギに切ってみずにさらしておく。チンゲンサイを茎と葉に分けて時間差で茹でておく。大皿に、白髪ネギ、チンゲンサイ、豚ロース肉薄切りをのせて供する。たれは、スープに中国黒酢、中国醤油、ナンプラー、塩胡椒で味を整え、片栗粉でとろみをつける)
青いパパイヤと豆腐のスープ(豚肉のゆで汁をつかう。薄口醤油、ナンプラーで味を付け、わかめ、豆腐を加える)
土曜に宮古島出身の院生から、青いパパイヤをもらった。これは、オーストラリアでベトナム料理の中のサラダで知って、さくさくとした歯触りが何とも心地よく、授業での話題に出したのだが、故郷から届いたとやらでお裾分けをいただいた。ありがとうございます。
昼食にサラダを作ってみようと、まず、ピーラーで皮を剥き、半分に割って種を取り、千切りをつくった。ナンプラー、レモン汁、赤唐辛子などでドレッシングを作って、香菜、プチトマトとあわせた。歯ごたえよいサラダとはなったが、勝手なレシピだったので、まあ、それはそれと。
青いパパイヤと豚肉の炒め物(青いパパイヤの千切りともやしとともに豚肉を炒める。ショウガ千切りと赤唐辛子小口切り、塩こしょう、ナンプラーで味を整える)
ほうれん草のナムル(ゆでたほうれん草、コチジャン、薄口醤油、塩こしょう、ごま油で)