東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

伊勢,熊野古道,高野山,明日香の史跡を楽しく散策 (18/18)5日目

2018年07月05日 | 歴史探訪他ウォーキング

紀伊半島史跡巡り、それぞれの史跡をクリックしてください。
 1伊勢神宮外宮  2猿田彦神社   3伊勢神宮内宮 4おかげ横丁 5熊野速玉大社
 6新宮城     7熊野那智大社  8那智の滝   9熊野古道A 10熊野古道B
 11熊野本宮大社 12玉置神社   13熊野の山々 14金剛峯寺  15壇上伽藍
 16奥の院    17明日香資料館 18キトラ古墳

 紀伊半島史跡巡りも最後になりました。明日香の石舞台古墳を見学した後、天武天皇・持統天皇陵に向かいました。7世紀、天智天皇の息子と天智天皇の弟が戦いました。壬申の乱です。天智天皇の弟が勝ち天武天皇となりました。持統天皇は、父である天智天皇とその弟でありかつ自分の夫である天武天皇の間でとても苦悩したのではないかと思います。

 天武・持統天皇陵      キトラ古墳への坂道    キトラ古墳を見て
  

 天武天皇が亡くなった後、持統天皇は建設途中だった藤原京を完成させました。また持統天皇は天皇の権威を高めた功績もあります。特に天皇の位を巡る争いを避けるため、兄弟の間ではなく長子に位を譲るルールを作ったのも功績の一つではないかと思います。兄弟間の相続は必ず権力争いに繋がります。そのため世界中のどの王家も基本的に長子相続になっています。持統天皇は飾りの女性天皇ではなく実力派女性天皇ではなかったでしょうか。女性には珍しく合理的な考えを持っていたのではないかと思います。

キトラ古墳見学後、キトラ売店に向かう    キトラ古墳壁画体験館 四神の館
 

 天武・持統天皇陵に行きましたが、当然のことながら御陵内に入ることができません。御陵前に解説板がありました。八角形の御陵だとのことです。天武天皇と持統天皇が。仲良く隣り合わせに葬られているようでした。天智天皇,天武天皇,そして持統天皇が生きた7,8世紀は東アジアは激動の時代でした。激動の結果、今の中国、今の朝鮮半島、そして今の日本の基が築かれたように思います。3国の国境や関係が、この7,8世紀にほぼ決まったのではないかと思います。

           キトラ古墳壁画体験館 キトラ売店


 天武・持統天皇陵の次にキトラ古墳に行きました。比較的最近発見された古墳で、内部に壁画が書かれています。さらに、天井には天文図が描かれています。この天文図は東アジアでは最古だのことです。天皇に近い人が葬られているのではないかと思います。

山口県に向かう高速道路   西宮名塩SAで土産購入   福山SAで休憩
  

 キトラ古墳を見終わると、キトラ古墳壁画体験館で休憩を取りました。休憩が終わると、田布施町に向かって車を走らせました。途中、西宮名塩SAでお土産を購入しました。このSAでだけ四国のお土産を買うことができるとのこと。私は四国の坊ちゃん団子を購入しました。続いて福山SAで最後の休憩をしました。そして、夕方近くに柳井市に到着しました。暗くなる中、夕食を食べてから我家に戻りました。運転していただいた方々お疲れ様でした。思い出に残るとても有意義な5日間でした。ありがとうございました。感謝致します。

           奈良県明日香から田布施町へのコース

コメント
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