東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

田布施町 麻郷の伊佐里峠,井神,助政などを散策(1/2)

2015年03月12日 | 歴史探訪他ウォーキング

 昨日に続いて、A君と一緒に麻郷を散策しました。今回は最初、麻里府との境にある伊佐里峠を探しました。去年は麻里府側から登って失敗しましたが、今回は事前におおまかに道を調べていたため無事峠に着きました。それでも、途中で道を間違えてしまいました。去年と同じように失敗かと思いましたが、尾根を伝いながら探して、やっと見つけました。A君、山中をあちこち藪こぎさせてすみませんでした。

   麻郷側の道を登る         頂上から麻郷側        頂上から麻里府側
  

 道を登っている時、下画像のF地点で道を間違えました。そして、山の頂上C地点に着きました。この頂上は、去年到達した場所です。そこで今年は尾根沿いに南方向(去年は北方向)に進んで、ついに伊佐里峠(D地点)を発見しました。そして、伊佐里峠から麻里府方面への道をどんどん下っていきました。しかし、歩くのを邪魔をするように道に木が生えていました。今回は下る道を確認して、Uターンして麻郷に戻ることにしました。ちなみにA~Bは舗装道路。
 その昔、伊佐里峠は重要な峠でした。麻郷からは普賢さまのお祭りなどで歩かれ、麻里府上組では物資の供給に使わるなど生活道路でした。上組の古老のお話では、収穫した野菜をほぼろに入れて伊佐里峠を越えて麻郷尾迫の市場(麻郷幼稚園近くにあった)に出荷していたそうです。さらにその昔は、収穫したお米を、伊佐里峠を越えて麻郷米出まで持って行ったそうです。そして、つい20~30年前まで、上組の古老が伊佐里峠と上組間の草刈りをしていたそうです。

                 今回歩いた、伊佐里峠,井神,助政方面の道


 昔の資料によると、明治時代頃にはこの峠に茶屋があったそうです。実際に峠に立ってみると、狭いながらも茶屋がかろうじてあってもよい広場がありました。また、避けなくても人が十分すれ違うことができる幅の道が続いています。かつての、街道を思わせる伊佐里峠の道です。少し手入れすれば、今でも十分ウォーキングできることが分かりました。

             思っていたより広かった、かつて茶屋があった伊佐里峠


 来年は再度この峠に来て、麻郷から麻里府まで完走しようと思います。意外に歩きやすい山道です。そして、再来年は皆さんを連れてこの峠を歩いてみようと思います。その昔、巡礼者は麻郷詣り(南平和霊場巡り)で、七番ヶ所霊場の長福寺(麻郷井神)を出た後、伊佐里峠を越えて八番ヶ所霊場の観音堂(麻里府上組)まで歩いていたのです。
 車社会になった40年位前、この伊佐里峠越えがなくなりました。そして10年位前まで、六番箇所霊場の西遊寺(今の西竹重公会堂)から、六,七番箇所を抜かして、車に乗って楠木峠を通って麻里府上組に巡礼していました。今、その巡礼は絶えています。

       途中、イノシシのぬた場                  青空に映える梅
 

 伊佐里峠から戻る時、高松八幡宮へ降りました。正規の道ではないため、途中イノシシのぬた場を通ったりしました。無事に高松八幡宮に着いた後、お地蔵様の件でHさんを訪ねましたが留守でした。次に江良碧松句碑に行きました。伊佐里峠など休まず歩いたため、この頃になると少し汗ばみました。次に井神から助政方面に向かいました。

               途中寄った江良碧松の句碑、梅が綺麗に開花


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 田布施町 麻郷 奈良周辺を散策 | トップ | 田布施町郷土館 16mm映写機... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史探訪他ウォーキング」カテゴリの最新記事