5月にウォーキングする予定の八島へ下見に行ってきました。朝9:45に室積港に集合しました。子供の頃八島によく遊びに行ったことがあるMさんに、八島を案内していただくことにしました。Mさん、ありがとうございました。乗船券売場で乗船券(片道580円)を購入しました。しばらく待っていると、上関港から「かみのせき丸」がやってきました。船は、上関港を出港後、いったん室積港に寄り、そして八島港に向かいました。
乗船券(片道580円)を購入 かみのせき丸に乗船 八島に向かって進む船
30分位かみのせき丸に乗っていました。平郡島に向かう船より小さいためか、だいぶ揺れが大きかったです。八島に着くと、下船して乗船券を渡しました。ところで、下船した方々の何人かは車に乗ってどこかに向かうようでした。何事かとお聞きすると、古浦の八島神社のお祭りとのことでした。年に一度の機会です。最初巡る予定にしていたお寺などを後にして、お祭りがある八島神社に急いで向かいました。
八島港に着いた、かみのせき丸
八島港から古浦の八島神社まで約4kmです。港からの一本道を休みなしに歩きました。日差しがとても強いため、登りの道をどんどん歩いていると猛烈に暑くなりました。そのため、途中で上着を1枚脱いで歩きました。初夏のような熱い一日でした。歩いていると、去年楽しくウォーキングした平郡島が北東側に見えてきました。
かみのせき丸を下船 古浦の八島神社へ向かう 途中、八島港を振り返る
やっとのことで八島神社に着きましたが、お祭りは終っていました。残念!お祭り後、皆さんにお話しをいくつかお聞きすることでできました。その一つが、かつてのお祭り時、古浦から戎ヶ浦に向かって、海上御神幸の船が仕立てられていた話です。かつてのそのお祭りの写真を見せていただきました。
お神酒をいただいた八島神社 八島神社の本殿 同級生S(旧姓)さんのお兄さん
この八島神社に出席しておられた方の一人に、たまたま私は声を掛けました。なんと、その方は私の高校時代の同級生S(旧姓)さんのお兄さんでした。このお祭りに合わせて、八島に帰省していたそうです。本当に奇遇です。さらに、一緒に八島ウォーキングの下見に来たEさんは高校生時代にSさんの住む八島を訪ねたことがあるとの事でした。お兄さんはすぐに、妹のS(旧姓)さんに確認の連絡を取っていました。私は高校時代のS(旧姓)さんの記憶がわずかに残っていたため、とても嬉しく思いました。
お祭りのあった八島神社の本殿前
八島神社では、お神酒をいただきました。そして、本殿内を見学させていただきました。いろいろお話しを伺うと、かつては古浦にも人家があったようです。そして、八島神社の前にある海岸に古浦港があったそうです。今古浦港は、夏の間だけキャンプなどのために臨時船が出ているとのこと。
上関町の室積港から八島へ至る航路
歴史的に見ると、戦国時代が終わった江戸時代初期、海の流通などで生計をたてていた人々が瀬戸内海の島々に住み着き始めたようです。そして、寺を中心とした檀家として幕府の支配下に置かれました。それらの島の一つが八島ではないかと思われます。ちなみに、私の先祖は村上水軍の一派で、柳井市の伊保庄山近に住み着いたとの言い伝えがあります。
八島神社を出ると、神社の鳥居前に広がる古浦の海岸に出て昼食休憩をとることにしました。
八島港から古浦の八島神社へ向かう(約4km)
数日前、田布施農業工業高校で羊を見学させていただきましたが、今回は羊の毛刈りを見学させていただきました。久しぶりに見る羊の毛刈りでした。見学させていただき、ありがとうございました。
50年位前、我家では羊を数頭飼っていました。昭和30年頃のことですが、父親と友人はわざわざ北海道まで羊を買いに行ったそうです。田布施農業高校の卒業生だった父親は先生と親しく、そのつてを頼って買いに行ったのでしょう。北海道から山口県まで、羊と同じ貨車に乗って帰ったそうです。昔は貨車に人が乗れたのですね。
羊と2歳の私(昭和30年) 羊の毛を刈る小屋 見学に集まった方々
羊を飼っていた理由は、羊毛の着物が高価だったためとのこと。羊の原毛と毛糸を物々交換したそうです。この田布施か柳井に、羊の原毛を扱う業者があったのですね。ところで、羊の毛刈りを見学中、ずっと雨が降っていました。雨にも関わらず、たくさんの方々(10人以上)が見学にみえました。小学生もいました。
羊の毛を刈り取っている高校生達
さて、羊の毛を刈り取る時は羊を寝かせなければなりません。羊の両足を持って、横に寝かせるように倒します。昔は手動バリカンでしたが、今は電動バリカンで毛を刈るようです。細かな場所の毛はハサミで刈ります。ただ、羊は寝転がるのを嫌がります。時々ピクピク動きます。そのため、滑らかに毛を刈るのは難しいようでした。なお、羊の国オーストラリアでは、年に一度毛刈りの大会があるようです。その作業は神業のようです。刈られた原毛を広げると、羊の形をしている絨毯のように見えます。
仰向けにして羊の腹側をハサミで刈取り
さ
羊小屋にも行ってみました。雨が降っているにも関わらず、何頭かの羊は外にいました。羊の毛には脂分が付いているため、雨は浸みこまないようです。もこもこした毛の間に手を差し込むと、とても暖かいのです。羊の毛に保温効果があることが実感できます。生まれたばかりの子羊が、母羊のお乳を飲んでいました。
羊を起こして、今度は首回りの毛刈り 毛刈りをし、そして見守る生徒達
私はもともと動物が大好きなため、このような高校に進んでも良かったのではないかと思うことがあります。そもそも、我家は牛を30頭近く飼っている牧場を経営していました。父親は私に獣医になって欲しいようでした。迷った末に、電気の道へ進みました。もう昔には戻れません。牧場を継いでいたならば今どうなっていたのだろうと、自問することがあります。
雨降る羊小屋連 羊小屋内の親子の羊 母羊の乳を飲む子羊
我家には、常時使う2台の草刈機があります。しかし、去年の秋に1台が故障してしまいました。ガソリンをキャブレターに送るプライマリーボンブからガソリンが漏れるのです。そのため、キャブレターにガソリンが送られず、エンジンがかからないのです。
残りの1台が快調に動くため、直さずにいました。その1台も、いつ故障するか分かりません。故障したら草刈りができません。そのため、故障した1台の草刈機を直すことにしました。
故障した草刈機 ガソリン漏れのポンプ 空気吸入口を外す
ガソリン漏れを直すためには、フライマリーポンプを交換するしかありません。近くのDIYのお店に行ってプライマリーポンプを探しました。探してもなかなかありません。3店目でやっと見つけました。新品のプライマリーポンプを購入すると、さっそく故障した草刈り機の修理を始めました。まずは、まずプライマリーポンプが付いているキャブレターを取り外しました。
取り外したキャブレターとプライマリーポンプ
耕耘機のキャブレターはよく外しますが、草刈機は久しぶりです。注意深くブラスドライバーを使って外しました。外す前にガソリンタンクからガソリンを通すホースなどを外します。キャブレターを外して、プライマリーポンプをよく観察すると、ポンプは全体的に茶色に変色し、あちこちに小さなヒビが入っているように見えました。そのヒビの一つからガソリンが漏れるのに違いありません。
ポンプをドライバーで外す 取り外したポンプ 購入した新品のボンプ
キャブレターを外すと、今度はキャブレターに取り付けられたプライマリーポンプを外しました。キャブレターの四つのネジを外して、ゴムのようなポンプをこじるようにして外しました。太陽の光で透かせるようにして観察すると、無数のヒビが筋状に光って見えました。ボンプの交換時期に来ていたようです。DIY店で購入した新品のプライマリーボンプをキャブレターに取り付けました。
キャブレターに取り付けた新品のプライマリーボンプ
新品のプライマリーボンプを付けると、キャブレターを元のように草刈機本体に取り付け直しました。そして、ガソリンタンクからのホースを繋ぎました。そして、最後に、修理確認のためにエンジンをかけることにしました。まずは、タンクにガソリンを入れました。次に、ブラマリーポンプをしこしとこ押して、ガソリンをキャブレターに誘導しました。そして、コックをチョーク側に倒して始動ローブを数回引きました。すると、半年ぶりにエンジンがかかりました。これで、安心して2台の草刈機を使うことができるようになりました。
ガソリンホースを繋げる 空気吸入口をセット 直った草刈機
去年の晩秋に色々な豆の種まきをしました。絹さやエンドウ豆,スナップエンドウ,グリーンピース,そしてソラマメです。芽が出た後、冬の間はなかなか大きくなりませんでした。しかし、3月中旬過ぎてからだんだん大きく成りました。よく見ると、ツルを伸ばしてぶら下がる枝を探しているように見えます。そう言えば、そろそろ豆のために支柱を立ててやらなければなりません。去年も今頃に支柱を立てました。
支柱を支えるための棒を、X状に打ち込む
私は、枯れた竹枝を挿して支柱として使っています。最初、その竹枝を支えるための棒をX状に畝に差し込みます。大きな風が吹いても倒れないように、木槌で叩いて棒を差し込みます。そして、それらの棒に横木を結び付けて固定します。次は竹藪に行って、枯れた竹枝を探します。適当な枝が見つかると、ノコギリで切って畑に持ち込みます。
横棒を糸で結び付け固定 枯れた竹枝を横棒に結びつける
何本かの竹枝を畑に持ち込むと、豆の株元に、豆を傷めないように竹枝の根本を差し込みます。そして、竹枝がぐらぐらしないように横棒に結び付けます。このような作業をしながら、絹さやエンドウ豆,スナップエンドウ,グリーンピースが登っていく枝を支柱として取り付けました。5月初めには美味しい絹さやエンドウ豆などを収穫できることでしょう。
豆が這い上がれるように、枯れた竹枝を次々に取り付け
昨日、少年少女発明クラブの開講式が終わった後、田布施農業工業高校に行きました。目的は、高校で飼っている羊を見学させていただくためでした。運よく、発明クラブで指導員をされているSさんがこの高校に勤めておられるとのことで案内していただきました。Sさん、羊を見せていただきありがとうございました。今は羊の毛刈りシーズンです。これからは季節が暑くなります。羊が熱射病にならないように、毎年この季節に毛を刈るとのことです。
たくさん飼われている羊たち、そろそろ毛刈りの季節
10年位前のことですが、私は高校生に昔ながらの米作りを教えていました。その高校生達は、農業高校の畜産科で学んでおりたまたま羊飼育担当だったのです。一方、私が所属していた農業支援ボランティアグルーブ(ユギ・ファーマーズ)内に羊の毛を織物にする織物チームがありました。その織物チームに指導者Uさんがいました。
私のところに学びに来ていた高校生達に、せっかく羊を飼っているのなら織物を学んでみないかと誘ってみました。すると、好奇心旺盛な高校生たちは、羊から刈り取った原毛を加工してマフラーにするまでの工程に挑戦してくれました。嬉しいことにユギ・ファーマーズの仲間の一人として、Uさんは快く織物を高校生達に教えていただきました。ありがとうございました。そして、私もそのお仲間に加わって体験したのです。
なお、Uさんは今、独立して山梨県道志村で織物工房を開いているとのこと。アメリカ先住民ナバホに伝わるナバホ織りもしています。
首から下を刈られた羊 羊たちを見学 生まれたての可愛い子羊
考えてみれば、この田布施には羊を飼っている高校があるではありませんか。10年前のように、羊から刈った原毛を加工して何らかの織物を作ってみたくなりました。そもそも、郷土館には、通称「たぬきの糸車」と呼ばれる古い紡ぎ機が何台かあります。利用しない手はありません。まずは、原毛の油抜きから始めてみようと思います。
羊小屋近くにある牛小屋も見学させていただく
今年も、田布施町少年少女発明クラブが始まりました。今日はその開講式です。去年は応募人数が少なかったのですが、今年は一転して多数の応募がありました。田布施町少年少女発明クラブは20年の歴史がありますが、クラブ始まって以来最多人数となりました。
開講式に集まった方々 発明クラブ開講式の開始 発明クラブ指導員の紹介
私が少年少女発明クラブに参加したのは、つい2年前の開講式からです。参加したきっかけは、田布施町の発明クラブを作った森山先生に45年ぶりに再会したことです。先生は、中学生時代に私が所属していた科学クラブの顧問だったのです。先生は最初、柳井市の少年少女発明クラブを作ったそうです。その頃の苦労話を伺ったことがあります。
並んで写真をとる子供達,保護者,指導員他
その苦労の一つは、その活動が報道で紹介されたことがきっかけだそうです。報道で紹介後、とてつもなく多くの子供達が入ってきたそうです。子供10人に1人位の指導者しかおらず、とても困ったそうです。今も、柳井市は少年少女発明クラブが盛んです。
ところで前任のM先生がご病気とのことで、やむなく私が主任指導員となってしまいました。今年の田布施町少年少女発明クラブ員はかつてなく人数が多いのですが、指導員共々頑張るしかないと思っています。とにかくこの一年間、子供も指導員も怪我なく楽しい工作ができればと思っています。
資料をクラブ員に配布 資料に名前を記述 工作について説明する私
このところ、すっかり春らしくなりました。去年の秋から続けてきたたき火も終わりです。まだまだ燃やさなければならない伐採木がありますが、この秋まで取っておくことにしました。これからは、野菜や花のは種まきなどの農作業が忙しくなるためお預けです。
今時の子供はたき火をすることが無いようです。私が子供の頃は、勉強よりも大切なことの一つがたき火(風呂焚き)でした。小学4年生から高校3年生までの約8年間、ほぼ毎日のように風呂焚きをしていました。
燃やし始めは乾いた板 次々に伐採木を焼却 枯れ枝も焼却
風呂焚きの仕事は、およそ次のようなサイクルです。
・山に登って適当な木を見付けてノコギリを使って伐採する。
・伐採した木は、そのまま放置して乾かしておく。
・その後、乾いたことを確認して山からひきずり降ろす。
・ノコギリやナタを使って焚きやすい大きさにする。
・雨の日に備えて、家裏に木を溜めておく。
・溜めた木を使って、ほぼ毎日風呂を焚く。
・風呂を焚いた次の日、灰を取り出して畑にまく。
以上のことは、すべて自分の責任でやらなければなりませんでした。ナタや鎌で指を怪我したことはたくさんありましたが、火事になったりボヤを起こしたことはありませんでした。子供には決して楽な仕事ではありませんでしたが、一方で楽しみもありました。燃える火を使っていろいろ実験することができました。例えば、火薬を作って実験したり、鉄を赤熱してナイフを作ったり、粘土で茶碗を作ったり、鉛などを溶かして加工したことなどです。
燃え盛る炎を見ながら、子供の頃を振りかえることも
今、たき火をしながら炎を見つめていると、子供の頃を思い出すことがあります。子供の頃の自分は、野山を駆け回っては実を食べ、川や海に出かけては海の幸を食べたりしていました。危険な事にもたくさん出会いました。・・・・・これらの経験が、今の私の血や心になっているような気がします。
この秋まで、たき火はお預け
我家では、桜が満開の頃、畑の一角で桃も満開を向かえます。桜と比べて、色が濃い,花びらが大きい,そして実を食べることができます。我家ではもっぱら、桃は花を愛でることよりも、甘く美味しい実を収穫できることで重宝しています。ただ、桜と異なり、虫が出やすいこと、木に病気が出やすいことが欠点です。そして、古木にならないように、木を10年位ごとに伐採しては更新しています。そのため、次に備えてこの1月に更新用の桃の苗を移植しました。
咲き乱れている桃の花、桜より色が濃い
この雨で、桜はだいぶ花びらが落ちましたが、桃は花びらが落ちるまでには至りません。来週初めに落ちると思います。枝をよく観察すると、枝先にはうっすらと葉が出ていました。花が散るのと同時にいっせいに葉が展開します。そして一気に桃は。緑の葉に包まれるのです。
桜より大きめの花ぴら すべての枝に桃の花
桜は花が散ると忘れ去られてしまいます。しかし、桃はこれからが勝負なのです。最初にしなければならないのは、葉が展開するのに合わせて害虫がいっせいに発生します。綿のような糸を吐く、アメリカシロヒトリによく似た害虫です。この時ばかりは農薬のお世話になるしかありません。放置しておくと、葉を丸裸にされるのです。害虫を退治した後、今度は実に袋掛けをします。その時、一つの枝に一つの実が着くようにします。一つの実を残して、残りはの実は全て摘果します。これらの作業を怠らないようにしないと、おいしい桃は収穫できません。
ピン色に染まった桃園、昔は親戚を読んでお花見
田布施川の桜は、満開日を過ぎて、ちらちら花びらが散るようなりました。我家の裏山に植えてある桜も昨日までが満開でした。そして、今日から花びらがちらちら落ちるようになりました。明日の天気予報は雨です。この雨で、今年の桜は終わりではないかと思います。桜の開花を見ていると、季節が通り過ぎていることが体感できます。桜が終わると、野菜や花の種まきのスタートです。
たくさんの桜の古株 満開の桜の花びら
ところで、田布施町郷土館の仕事始めの一つとして、田布施町隣りの史料館などへの挨拶まわりを始めました。最初に行ったのは、平生町歴史民俗資料館です。これまで何度か行きました。この資料館ができるずっと前は、習生小学校でした。木造校舎で子供の頃によく遊びに来ていました。その後、統合されて今の平生小学校になりました。
平生町歴史民俗資料館に着くと、挨拶をして田布施町郷土館の追加分のパンフレットをお渡してお話しを伺いました。ご挨拶したついでに、久保白船の展示会を見学させていただきました。
我家東側斜面で咲く、たくさんの桜
た
平生町歴史民俗資料館を出ると、次に阿多田交流館に行きました。そして、パンフレットをお渡ししました。続いて上関町に行って、郷土史学習館に行き、すぐ近くの上関観光協会にも行きました。これらの資料館などを巡っていて、面白いことに気が付きました。
例えば、平生町歴史民俗資料館の館長は図書館の館長と兼ねているそうです。また、それ以外の阿多田交流館や上関の郷土史学習館は社会教育課の課長が館長を兼ねているそうです。また上関町では、朝鮮通信使を研究しているメンバーが上関観光協会に関わっているとのこと。
田布施町では、郷土館自身が企画展などを計画・実施したりしています。平生町や上関町では主に社会教育委員会がそれをしているとのこと。資料館の運営方法や利用方法が、町によって違うことを初めて知りました。今後は、柳井市、光市などの資料館などに挨拶に行こうと思います。
我家を取り囲むように咲く、たくさんの桜
先月修理に出していたトラクターが戻ってきました。修理した項目を見ると、いろいろな個所が点検,交換,修理されていました。冷却水が漏れていたので予想はしていましが、エンジンが軽く焼き付いていたようです。自動車でも船でも、エンジンが一番大切です。完全には壊れていなかったのは幸いでした。
運搬車に乗ったトラクタ 運搬車から降ろす 降ろされたトラクタ
その他、各種配線が相当傷んでおり、配線が修理されていました。また、発電機(オルタネーター)そのものも傷んでいたようで、発電機を外して専門業者に修理に出したとのことでした。また、エンジンオイルなども全て交換しました。また、各動作部にはグリスが注入されていました。今回の修理で、今後数年間は修理に出すことは無さそうです。広い畑や重い物を運ぶのに、このトラクターはとても重宝しています。これからも永く使っていこうと思います。
点検,交換,修理され、汚れも落とされ綺麗になったトラクタ
久しぶりにかつての同級生が集まってミニ同窓会をしました。私の田布施郷土館館長就任を祝ってとのことですが、皆さんが集まるきっかけになって良かったと思います。私は、Yさんが運転する車で会場まで乗せてもらいました。ありがとうございました。最初、5,6人が集まるのかと思っていたところ、24人も集まっていただき感謝の極みです。
車で送迎いただき感謝 この上階でミニ同窓会 花束をいただき、感謝!
今回は同級生ばかりが集まりましたが、小学生時代の恩師kさんよりメッセージが届いていました。皆さんと一緒に、そのメッセージを聞かせていただきました。ありがとうございました。そして宴もたけなわの中、とても綺麗な花束をいただきました。こんなにしていただき、身が引き締まる思いです。
集まっていただいた、小中高24人の同級生達 1/2
今後、皆さんが気軽に立ち寄っていただける郷土館にしていきたいと思います。また、ウォーキング,発明クラブ,地域活動などでも、皆さんと関わることがより多くなると思います。今後ともよろしくお願い致します。
最後に、このような宴を企画していただいた上、多くの同級生に声をかけていただいた方々に感謝いたします。ありがとうございました。
集まっていただいた、小中高24人の同級生達 2/2
第44回と第45回のたぶせ桜まつりは、仕事が入っていたため少しの時間しか楽しむことができませんでした。その前は、第42回、第43回と楽しみました。これらの中で、第42回が一番快晴な桜まつりだったように思います。今回の桜まつり、数日前までは天気予報が雨とのことで心配しましたが、少しばかり晴れて良かったです。スタッフの方々は、私以上に気をもんだことでしょう。
田布施川沿い、満開の桜並木アーチ
今回のたぶせ桜まつり、最初に第15回田布施川桜まつりロードレースを見ました。私がもう少し若ければ参加したかもしれません。私が高校生だった頃、長距離を走るのが好きで運動会で1500mに出ていました。短いレースならば今でも走ることができるかもしれませんが、事前に練習して体を鍛えておかなければなりません。ウォーキングならば、練習なしにできるでしょうが。
ロードレースを走っている方々 タイムを計測する終点 交流館近くでのんびり
ロードレースの終点に行くと、ウォーキングでよくご一緒するkさん(小学生時代の恩師)が審判をしておられました。レース到着の様子をみていると、靴にチップを付けているのですね。そのチップのことを忘れて走り去る方がいるようです。kさんはスタッフに声をかけて、その走り去った方を追いかけてチップを取り戻すように指示しておられました。犬猫にチップを付ける話を聞いたことがありますが、今や人もチップを付けるのですね。
花まつりとご住職様方 ロボットフットボール 盲導犬に触れる方々
ロードレースを見終わると、交流館方面に行きました。交流館の方々も忙しく働いていました。そして、田布施川沿いには、たくさんの家族の方々がシートに座って桜を楽しんでいました。続いて、庁舎に方面に向かって歩きました。
その途中、花まつりをしておられる田布施町仏教会のご住職様方からに声を掛けられました。花まつりは、お釈迦様が生誕されたことを祝う日です。これまで何度も桜まつりに来ましたが、花まつりにまったく気が付きませんでした。思い起こせば、東京でボーイスカウトをしていた頃、スカウト達を連れて八王子高尾山で行われる花まつりに毎年参加していました。高尾山には、お釈様の骨の一部が納められている仏塔(ストゥーパ)があるのです。
たぶせ桜まつりメイン会場の中央公民館周辺
中央公民館内では、古代米アートの写真展を見たり、田布施農業工業高校によるロボットフットボールを見学しました。また、高校生による3Dプリンタを使った立体ネームストラップ作成をしているところを見学しました。中央公民館の傍では、献血コーナー,盲導犬コーナー,警察コーナー,自衛隊コーナー,消防コーナーなどがありました。それぞれ特殊車両が用意されていました。盲導犬コーナーでは盲導犬に触れることができるようでした。
いい匂いの牡蠣コーナー 地震を体験できる起震車 触れることができる白バイ
詩情公園の芝生付近に来ると、たくさんのお店が並んでいました。焼きそば、たこ焼き、かき氷、焼き鳥、ハンバーグ、いか焼き、から揚げなど、たくさんのお店です。そして、それらのお店の北端にステージがありました。男性数人グループによる歌やダンスが披露されていました。けっこうな人だかりで、歌に合わせて踊ったり手振りしている方が多くいました。
美味しそうな匂い 自然食品販売コーナーなど 男性グループのステージ
ステージを少し見学すると、詩情公園の丘に上ってみました。すると、会場全景を見渡すことができました。途中、丘の傾斜地に坐ってステージを楽しむ方々がいました。今年は、詩情公園の芝生周辺が会場でしたが、詩情公園の丘も含めて会場にすればさらに良いかもしれません。
詩情公園の傾斜地から、ステージを鑑賞する方々
続いて、森のエリアに行ってみました。そこは少し静かで、スカウトコーナー,チェーンソーアート、ビザコーナーなどがありました。スカウトコーナーでは、私が知っている子供達や、ボーイスカウト指導している同級生達と談笑しました。私もかつてボーイスカウトの副隊長をしていたことがあるため、懐かしい思いに浸りました。また、焼きたてのピザを購入して、スカウトコーナーにおすそ分けしました。また、おなじ森のエリアで思いがけず、花の苗をいただきました。Yさんありがとうございました。
焼きたてのビザを購入 チェーンソーアート スカウトコーナー
森のエリアからメイン会場に戻りました。すると、ステージでは熊毛南高校の吹奏楽部による演奏が行われていました。私が在学中には、確か吹奏楽部はなかったように思います。今、熊毛南高校は野球部と吹奏楽部が盛んであるとの話を聞いたことがあります。卒業後40年も経てば、クラブ活動の栄枯盛衰もあるのでしょう。ステージで、AKBの流行り歌を演奏し歌っていました。
熊毛南高校吹奏楽部の演奏を聞きながら、いろいろな露店を見学
いろいろなお店を見終わると、桜まつり本部に寄りました。観光協会や役場の方々が多くおられました。椅子に座って談笑しながら、少しばかりお手伝いをしました。
こんなことがありました。落し物コーナーに、小さな水筒が届けられていました。落し物が発見された場所で見かけた子供に声を掛けると、なんとその子の水筒だったのです。その子は、水筒を忘れたことに気が付いていませんでした。私が声を掛けなければ、忘れたことにずっと気が付かなかったことでしょう。こんなこともあるのですねえ。
熊毛南高校生の演奏 各種チャーハンの露店 桜まつり本部
桜まつり本部にいると、いろいろな方がやってきました。少年少女発明クラブや西の寺小屋などで関わった子供や大人などです。その中に、来週マレーシアに行って仕事をされるMさんがいました。私はかつて、海外派遣青年協力隊に行こうと思って結局果たせませんでした。少しばかり、うらやましく思いました。
そんなこんなで、桜まつりを楽しむことができました。その後ポツリポツリと雨が降り始めた頃、私は郷土館に戻りました。桜まつりを企画・運営されたスタッフの皆様、ご苦労さまでした。とても良い桜まつりでした。
右から、元郷土館館長Nさん,私,Mさん,Mさんの奥様、桜まつり本部前にて
郷土館の事務所壁に設置してある時計は、展示室側から見やすい方向に設置しています。職員の背中側に時計があるため、職員からは時間が分からないのです。そのため、事務的な仕事をしている時、閉館の時間をうっかりオーバーしてしまうことがあります。
今回、我家の倉庫に永い間眠っていた柱時計を、職員から見やすい位置に設置しました。しかも、ボーンボーンと鳴ります。これで、時間をオーバーしてしまうことは減りそうです。
長針と短針を外す 雑巾できれいに拭く 日付を合わせる
ゼンマイ式の柱時計もあるのですが、電池式の方が一年位ずっと動きます。また日付が分かり、かつ時報も鳴ります。40年以上近く使っていない振り子時計ですが、今回郷土館で使うことによって眠りから覚ますことにしました。積年のほこりを払って、新しい電池を入れて壁に取り付けました。
長針と短針を取り付け 壁に時計固定のネジ 振り子を動かす
とても古いレトロな振り子時計です。復活するか心配でしたが、電池を入れると生き返りました。時刻になると、ちゃんとボーンボーンと時刻数鳴ります。郷土館に収蔵しても良いほどの古いものですが、時計としてまだまだ使えそうです。進み遅れは、数日間かけて調整しようと思います。これで、郷土館の閉館時間をうっかり忘れてしまうことは無くなりそうです。
電池を入れると生き返った、レトロな振り子時計
ところで今、しいたけが豊作です。雨が降った後など、どっとしいたけが出ます。婆様は、しいたけの笠が大きくなってから収穫して欲しいと私に言います。しかし、次から次へとしいたけが出ている時は、大きくなるのを待っていられません。一番おいしい、笠が開き切らないものを収穫しています。毎日のように食べているのですが、追いつきません。少々飽いできました。
あちこちの榾木から出るしいたけ 次から次へ収穫しまくる
たくさん獲れるので、婆様は干ししいたけを作り始めました。竹で組んだ籠にしいたけを入れて、太陽に当てるのです。すると、数日間でしいたけは縮んで乾きます。そうなると、干ししいたけのできあがりです。しいたけが収穫できなくなる初夏以降、水に戻すと食べる事ができます。
収穫して余ったしいたけは、天日乾燥して干ししいたけに
つい3月中旬頃まで、今後も今までどおりに郷土館に勤められると思っていました。ところが紆余曲折のすえ、この4月から私が田布施町郷土館の館長に就任することになってしまいました。1日朝、田布施町役場に行って役場のみなさんと一緒に町長の訓示などを受けました。その後、教育長に辞令をいただきました。定年後に、このような形で勤めることになろうとは思ってもみませんでした。
訓示を受けた町役場 いただいた辞令 塗装を塗り直した郷土館
辞令交付後、郷土館に戻りました。そして、新しく職員になられるMさん、そしてHさんと相談し、事務机の最適化を行うと共に、勤務などに関わる確認をしました。今後は、館長会議に出席したり、郷土館独自の展示会を企画するなど、しばらくは慣れない仕事が続きます。
まずは最初の仕事として、近隣の公民館,郷土館,そして博物館などにご挨拶に行こうと思います。郷土館は、3月に外壁などを修繕して塗り直すなど綺麗になりました。建物同様、装いも新たにみなさんと楽しく郷土館の仕事ができればと思います。
田布施町郷土館の新体制、右から私,Hさん,Mさん
秋に種まきして育てたのらぼう菜が収穫時期を迎えました。この野菜は、関東特に多摩で食べられている自給用の菜っ葉です。八王子市に住んでいる時に栽培してよく食べました。キャベツや白菜のような流通に乗せることができないため、とてもマイナーな野菜です。そののらぼう菜の種を、山口県に持ち帰って栽培しています。この秋にも種を蒔いて栽培してきました。種も自家採種できるため、世話いらずの野菜です。
収穫時期を迎えたのらぼう菜
のらぼう菜の特徴は、他の葉物野菜に比べて圧倒的に作りやすいことです。特に害虫の被害に強いことです。その理由を私なりに考えると、葉にややえぐみがあることです。つまり、美味しくないところが害虫に強い理由だと思います。その独特のえぐみのために、この野菜は好き嫌いがあります。それが野菜店などの流通に乗らない理由の一つだと思います。少しのえぐみさえ気にならなけれで優良な自給用野菜です。
花柄を摘まむ 花柄をポキッと折る 折り取った花柄
のらぼう菜の収穫方法は簡単です。花柄を摘まんで、ひねるようにしてボキンと折るのです。その折った花柄を、調理した食べるのです。山口県で多く作られているハナッコリーと収穫方法と同じです。花柄を折ると、脇芽が伸びて再び花柄となります。次から次へと出てくる花柄を収穫するのです。葉そのものを収穫してもかまいません。
収穫したのらぼう菜の花茎、洗ってから調理
のらぼう菜の花柄は、熱湯に軽く通すとえぐみが取れます。また、他の野菜と混ぜて食べてもかまいません。何度も食べていると、えぐみはそれほど気にならなくなります。作りやすく害虫に強い野菜は、のらぼう菜以外にはすぐには思いつきません。最近、品種改良されたのらぼう菜がわずかに流通に乗って一部の地域で販売されているようです。
他の野菜と混ぜ包丁でカット 左の野菜を、炒めている例