今朝のこと、ウォーキングに出かける前に畑を回りました。その時、綿の花が咲いていることに気が付きました。綿の種類は茶綿です。それほど、成長していないのにもう花が咲いていました。植物には、花の咲き方が大きく2種類あります。一つは綿のように、花が咲きながらも成長が持続するもの。キュウリやナスなどが代表です。冬になると成長できなくなり枯れます。もう一つは、花が咲くと成長が止まるものです。イネ,麦,そしてヒマワリなどが代表です。
成長さなかの綿 小さな綿のつぼみ
今年は、白,緑,茶の3種類の綿を栽培しています。これらは洋綿ですが、これとは別に日本の綿も栽培しています。これらの綿を収穫したのち種取りをします。その後糸に紡ぐのですが、和綿は繊維がやや短いので紡ぎにやや技術を要するように思います。紡ぎの技術をまだ習得していないのですが、細く長く均一でだまにならない糸を目指して練習しようと思います。なお、羊の毛も紡ぎますが、洗浄などの前工程がやや面倒です。綿だけにしようかと思案しています。
咲き始めた、シルクのような真っ白な綿の花
今年も染色に使う紅花の収穫が終わりました。今回は、この秋に種まきするための種子を収穫しました。種で膨らんだつぼみを鎌で刈り取りました。花びらには硬い棘があるため、花びらを触らないように注意しながら刈り取りました。
収穫した紅花の花びら 種で膨らんだ花びら 刈り取って束ねた花びら
去年と今年、紅花を栽培していろいろなことに気づきました。一番は、紅花は苗を移植できないことです。去年の秋、苗を移植しても根付かなかったことです。春に種を蒔いた紅花に、成長が追い越されてしまいました。今年10月頃に種まきする紅花は、いっさい移植しないでその畑でそのまま栽培してみようと思います。今のところ、紅花を大きく育てるノウハウがまだ分かっていません。手探り状態です。
乾燥中の、花びらを含む紅花の茎や葉
先日収穫した小麦、天日乾燥をしています。収穫後しばらく雨が続いたため、収穫袋に入れたまま保管していました。袋に入れたまま乾燥しないでいると、コクゾウムシなどの害虫が小麦を食べてしまいます。今回2階のベランダにブルーシートを広げ、その上に小麦を広げました。より乾燥させるため薄く広げました。
ブルーシートと収穫袋 シート上に小麦を広げる 飛ばないよう四隅に重り
私が子供の頃、ブルーシートなどありませんでした。もっぱら筵(むしろ)を広げて、その上に麦や籾を広げて乾燥・消毒をしていました。天日乾燥は天候に左右されるため、今では乾燥機などを使う家が多いようです。乾燥した小麦は、密閉したタンク入れて保管します。タンク内には、乾燥剤と脱酸素剤を入れて万全を期しています。そして、秋か冬に製粉機で粉にして食べています。
ブルーシートで天日乾燥・消毒中の小麦
市販の藍染め液を購入すれば、容易に染めることができます。私は、かつて田布施で行われていた藍の栽培から藍染めまでを再現したいと思っています。残念ながら、郷土館には藍の種まき時期,紺屋の看板,田布施川での染物屋写真などの断片記録しかないのです。田布施町でどのようにして藍染めをしていたのかそのノウハウが消失しているのです。
藍の枯葉を腐らせた液 白い布を液に入れる 薄く藍色に染まる
夏に収穫して乾燥した藍の葉を冬にバケツで腐らせました。そして、春にその腐った液にアルカリ液と糠を入れました。そして、今回試しに藍染めをしてみました。薄く藍色に染まったのですが、藍染めに成功したとは言い難いです。10回以上繰り返せば濃い藍色に染まるとは思います。藍の葉を相当に入れないと濃く染まらないことが分かりました。藍液はアルカリ性が良いのだそうですが、そのPHを測定できないので困ります。糠が発酵すると液が酸性になるようで、アルカリ性を保つのが難しいようなのです。今、藍の畑では藍が大きく育っています。この夏も、去年と同様に葉を収穫して乾燥させようと思います。
うっすらとしか染まらなかった布、綿より絹がよく染まる
大雨が降り続いていたため、畑の草刈りがずっとできませんでした。仕事がない今日、草刈りをしました。数日ぶりに畑に行って見ると、畑は雑草で覆われていました。藍は春から大きく育っていたため、雑草に負けていませんでした。しかし、綿は雑草に埋もれていました。
雑草に覆われた麦畑跡 最初に麦畑跡の草刈り 綿畑を草刈り
今月中に麦畑跡に小豆と枝豆の種を蒔きたいため、最初に麦畑跡の草刈りをしました。次に雑草に埋もれた綿畑の草刈りをしました。間違えて綿を刈り取らないように注意深く刈り取りました。それでも3本位の綿を刈ってしまいました。続いて、カンナを植えている道路側の草を刈り取りました。長袖を着て作業したため蒸します。さらに暑さのため、汗が滝のように落ちてきました。熱中症にならないように30分に1度は、水分を取りながらの休憩をしました。
カンナを植えている道路沿いの草を、最後に刈り取る
雑草の刈り取りが終わると、咲き終わったアーティチョークの花を採集しました。咲き終わっていたので、花は茶色に枯れていました。1ヶ月位乾燥させると、棒で叩いて種を取ろうと思います。そして、早ければ8月か9月に種を蒔こうと思います。それでも、花の収穫は再来年の初夏になると思います。・・・・真夏の草刈りは体にこたえます。今後も無理せず体をいたわりながら農作業しようと思います。
巨大なアーティチョークの花 乾燥中のアーティチョークの花
18年近く一緒に暮らした猫のリンちゃんが逝きました。ここ数日危篤状態だったのですが、少し餌を食べ始めたので持ち直したかなと思っていました。しかし今朝、静かに静かに逝っていました。寝ているかなと思って声をかけても顔を上げません。それで気が付きました。
数日前のリンちゃん 花束と一緒に 上に思い出の石を
リンちゃんには申し訳ない事をたくさんしたように思います。家の中で暮らしたかったろうに、ほとんど外で飼いました。室内で飼えば20歳までは長生きしたに違いありません。また、成猫になった頃、子猫ができないようにしてしまいました。子猫を産んで育てる母猫の喜びを奪ってしまいました。他にもたくさんあります。
今頃、亡き犬のロミが迎えに来ているに違いありません。そして、ロミと一緒に我家の思い出を語り合っているかも知れません。・・・・そう言う年齢になったのでしょうか、一人静かに涙腺が緩むことが多くなりました。
私をじっと見つめる子猫時代のリンちゃん
午後用事があって周南市の花岡に行きました。海岸沿いの188号線は片側1車線の場所があるとのことで、内陸の三丘方面を通って行きました。しかし、この道も小周防近くで2ヵ所が土砂崩れで片側1車線になっていました。用事を済ませて同じ道を帰ってきました。午前中、ある方から徳修館や小松原近くがひどい水害だったとの話を聞いていました。そもそも2ヶ月前にこの付近の道をウォーキングしたばかりです。どうしても気になりました。そのため、寄り道して水害の程度を見てきました。その水害の規模の大きさに驚きました。
道の上を流れた島田川 水かさが増した跡がくっきり
4月にウォーキングした島田川右岸の道を通ってみました。すると、道脇に立っていたミラーの支柱に流れた草木が引っ掛かっていました。つまり、この道は水深50cm~1m程度水没していたことが分かります。しかも、勢いよく下流に向かって流れていたことが分かります。近くには1階が水没したと思われる家がありました。そして、道は泥が深く積もっていたためそれ以上は通れませんでした。徳修館の駐車場内には泥が流れ込み、周辺の田んぼや畑にも水没の爪跡がくっきり残っていました。全滅したビニールハウスや畑などがたくさんありました。倒壊した家もありました。再建には大変なコストと時間がかかると思われます。
田んぼにくっきり残る洪水の跡、泥が入り稲は大丈夫?
小雨の中、今年もカブトムシが我家にやって来ました。夕方、窓にガンガン当たる虫がいました。いつもはカミキリムシが窓に当たるのですが、今回はその音が大きいのです。もしやと思って窓を開けるとカブトムシが部屋に入ってきました。電灯の光に誘われて飛んできたのに違いありません。手で持つと、嫌がってグーグー鳴きました。実はカブトムシは鳴きません。羽を擦ってその音がグーグーと聞こえるのです。カミキリムシは、もう少し高い音で同様にギューギューと鳴きます。
1年ぶりに部屋に飛び込んできたオスのカブトムシ
カブトムシの足先にはカギ爪があるため、持つとその爪でひっかかれます。ひっかかれて痛いので、次の朝まで箱に入れておきました。そして次の日、箱から出してよく観察しました。とても元気で、私の方を向いて威嚇してきます。観察した後、山に逃がしてやりました。カブトムシが育つ自然が残ってることに感謝です。来年も来て欲しいものです。
正面から見たツノと顔 艶がある背中 切り株に放す
これまでのウォーキングで、田布施町の神社仏閣のほとんどを訪問しました。この浄泉寺が最後に訪れた仏閣です。浄泉寺の江戸時代の記録を見ると、当時すでに一番多くの門徒を擁していたことが分かります。浄泉寺は、約400年前に国木の西迫から今の納所に移転しました。1年前、かつて浄泉寺があった場所に行ったことがあります。その場所は、杉が何本も生えた山際の林です。移転は400年以上も前のことです。言われないと浄泉寺があったとは思えません。
納所集会所前の道を浄泉寺へ 浄泉寺の石階段と門
浄泉寺は元々は真言宗のようでした。それが移転を契機に浄土真宗に変わったようです。しかし、それは400年以上も前のことですので、真言宗の痕跡はほとんどありません。本堂を改築するたびに痕跡が無くなっていったのでしょう。歴史をさかのぼると、真言宗から他の宗派に変わったお寺が少なくありません。激しい修行をする真言宗より、お祈りするだけで成仏できる浄土真宗など方が大衆受けしたのではないかと思います。
浄泉寺本堂内 納所池に到着 八尋石八幡宮への山道
また、真言宗は国家や組織の安寧を祈るのに対して、浄土真宗などは個人の安寧を祈るように思います。鎌倉時代の仏教宗教改革によって、親鸞聖人などがとなえる庶民を救う仏教が広まったように思います。それが、極貧だった百姓に受け入れられやすかったのではないかと思います。明日香、奈良、平安時代までの仏教は主に国家が保護しましたので、庶民には縁遠かったのではないかと思います。
曇り空の八尋石八幡宮
さて、浄泉寺ではご住職さんにいろいろとお話を伺いました。また、本堂内でお昼休憩をさせていただきました。また、本番ウォーキングでも本堂で休憩させていただくとの了解をいただきました。ありがとうございます。昼食休憩後、浄泉寺を出て西に向かって歩き、しばらくして納所池に着きました。納所池から山裾の山道を登り八尋石八幡宮を参拝しました。
元宰相佐藤栄作墓所 才賀川沿い堤防道 スイートメモリで休憩
八尋石八幡宮を参拝すると、元宰相佐藤栄作墓所を訪れました。以前来た時よりも綺麗に草や雑木が刈られていました。地元の方々が整備したのではないかと思います。続いて、才賀川に沿う堤防を歩きながら交流館に戻りました。その途中喫茶スイートメモリに寄って反省会を兼ねて休憩しました。下見ウォーキングに参加された方々、お疲れ様でした。
西田布施を中心に歩いた今回のコース
数日前のことです。やはり雨でどこにも行けないため、いつもの仲間達とハワイ料理を食べに行くことになりました。私は料理がさっぱりなので、レストランのことはあまり知りません。田布施町しかも麻郷にハワイ料理店があることを、この日初めて知りました。そのレストランの場所は、なんと以前調査した浜城のお地蔵様のすぐ隣でした。アメ車を扱っているお店でした。
看板の左隣にお地蔵様 お店の建物とアメ車 お店のカウンター
このお店「kuhio cafe hawaian cafe & pancake」は今年開店したようです。ホノルルのKuhioビーチから名前を取ったのはないかと思われます。お昼でお腹がすいていたこともあり、とても美味しくハワイ料理を食べることができました。また、たわいもない話題で談笑できて楽しくお昼を過ごすことができました。食事後、私はいつものようにアイスコーヒーを頼みました。ごちそうさまでした。
たわいもない話題で談笑しながらハワイ料理を楽しむ
このところの長雨で、草刈りも農作業も滞りがちです。雨の中、畑を散策していると葉の先に小さなカタツムリを見つけました。殻をそっと摘まんで指先に載せてみました。最近小さな命を見ると心なしか癒されます。
今、我家の猫リンちゃんが危篤状態です。先日道端で動けなくなっているのを見つけました。抱いて連れ帰りましたが思わしくありません。ほとんど動きません。いつも食べているカリカリの餌はたべません。ゼリー状の餌はなんとか食べてくれます。名前を呼ぶと、悲しそうな目で私を見るのです。18歳くらいの老猫なので、もうそろそろなのかと思っています。埋める穴の場所を決めました。
透き通るような小さなカタツムリ
紀伊半島史跡巡り、それぞれの史跡をクリックしてください。
1伊勢神宮外宮 2猿田彦神社 3伊勢神宮内宮 4おかげ横丁 5熊野速玉大社
6新宮城 7熊野那智大社 8那智の滝 9熊野古道A 10熊野古道B
11熊野本宮大社 12玉置神社 13熊野の山々 14金剛峯寺 15壇上伽藍
16奥の院 17明日香資料館 18キトラ古墳
紀伊半島史跡巡りも最後になりました。明日香の石舞台古墳を見学した後、天武天皇・持統天皇陵に向かいました。7世紀、天智天皇の息子と天智天皇の弟が戦いました。壬申の乱です。天智天皇の弟が勝ち天武天皇となりました。持統天皇は、父である天智天皇とその弟でありかつ自分の夫である天武天皇の間でとても苦悩したのではないかと思います。
天武・持統天皇陵 キトラ古墳への坂道 キトラ古墳を見て
天武天皇が亡くなった後、持統天皇は建設途中だった藤原京を完成させました。また持統天皇は天皇の権威を高めた功績もあります。特に天皇の位を巡る争いを避けるため、兄弟の間ではなく長子に位を譲るルールを作ったのも功績の一つではないかと思います。兄弟間の相続は必ず権力争いに繋がります。そのため世界中のどの王家も基本的に長子相続になっています。持統天皇は飾りの女性天皇ではなく実力派女性天皇ではなかったでしょうか。女性には珍しく合理的な考えを持っていたのではないかと思います。
キトラ古墳見学後、キトラ売店に向かう キトラ古墳壁画体験館 四神の館
天武・持統天皇陵に行きましたが、当然のことながら御陵内に入ることができません。御陵前に解説板がありました。八角形の御陵だとのことです。天武天皇と持統天皇が。仲良く隣り合わせに葬られているようでした。天智天皇,天武天皇,そして持統天皇が生きた7,8世紀は東アジアは激動の時代でした。激動の結果、今の中国、今の朝鮮半島、そして今の日本の基が築かれたように思います。3国の国境や関係が、この7,8世紀にほぼ決まったのではないかと思います。
キトラ古墳壁画体験館 キトラ売店
天武・持統天皇陵の次にキトラ古墳に行きました。比較的最近発見された古墳で、内部に壁画が書かれています。さらに、天井には天文図が描かれています。この天文図は東アジアでは最古だのことです。天皇に近い人が葬られているのではないかと思います。
山口県に向かう高速道路 西宮名塩SAで土産購入 福山SAで休憩
キトラ古墳を見終わると、キトラ古墳壁画体験館で休憩を取りました。休憩が終わると、田布施町に向かって車を走らせました。途中、西宮名塩SAでお土産を購入しました。このSAでだけ四国のお土産を買うことができるとのこと。私は四国の坊ちゃん団子を購入しました。続いて福山SAで最後の休憩をしました。そして、夕方近くに柳井市に到着しました。暗くなる中、夕食を食べてから我家に戻りました。運転していただいた方々お疲れ様でした。思い出に残るとても有意義な5日間でした。ありがとうございました。感謝致します。
奈良県明日香から田布施町へのコース
毎月の定例ウォーキングの下見に行ってきました。7月は西田布施を中心に史跡を巡ることにしています。出発地点は久しぶりに田布施交流館です。予定では10時出発ですので、その時刻に合わせて歩き始めました。最初の史跡は吉田雨村の顕彰碑です。以前来たことがある史跡のため、本番では割愛するかも知れません。続いて、元宰相岸信介墓所にお墓参りに行きました。お墓参りの許可をいただきに岸事務所に行きました。ろうそく,線香,ライターなどを持つ事務所のMさんと一緒に墓所に向かいました。
元宰相岸信介墓所 奇兵隊士平野捨五郎墓所 田布施川を見下ろして
元宰相岸信介のお墓参りを済ませると、近くにある奇兵隊諸隊干城隊隊長だった平野捨五郎の墓石を訪ねました。平野捨五郎は長岡(新潟県)で亡くなりました。当時の長岡は一つの藩でした。長岡藩は中立を守りたかったようですが、それを認めない新政府軍と対立しました。長岡藩を主導する河井継之介との戦い(北越戦争)では双方に多くの犠牲者が出ました。松下村塾生の時山直八も犠牲となりました。長岡の街も火の海となりました。ところで、元宰相岸信介氏の幼少の頃の記憶に、近くに住んでいた平野のお爺さんのお話があります。年代的にこのお爺さんは平野捨五郎の兄弟だったのではないかと思われます。
詩情公園から見た田布施川,石城山,行者山
平野捨五郎の墓所を過ぎると、詩情公園に行きました。100m位の坂道を登ると、田布施の街並みが見下ろせる場所に着きました。そして、田布施川を見下ろし、石城山,行者山などの山を遠望しました。そして、椙山稲荷神社の祠を訪れました。この祠、かつては建物があったのではないかと思われます。続いて田布施川右岸上流に向かった歩きました。ところが、歩道が草で覆われて歩けないことが分かりました。そのため、左岸の歩道を歩くことにしました。
椙山稲荷神社の祠 詩情公園を降りて 右岸の歩道を折り返す
田布施川をどんどん上流に向かい、途中から車の危険性がない右岸土手を歩きました。そして、浄泉寺に向かう道を歩きました。途中、納所会館前を通りました。この近辺を歩いていて、私が中学生の時に来たことがある同級生F君の家を50年ぶりに思い出しました。かつてF君宅と我家が同じ酪農をしていた関係で来たことがあるのです。我家に生える竹は、F君の家からもらって移植した竹なのです。
田布施川沿いのお地蔵様 民家風の納所会館
前回までは電源トランスの電流が何らかの原因で短絡することによってヒューズが飛ぶ現象が分かりました。今回は原因があると思われる電源部を調査しました。そこで発生原因と思われる初段増幅真空管ヒータ用の抵抗とコンデンサを調査しました。その抵抗とコンデンサには焦げ跡があるため明らかに怪しいのです。その抵抗とコンデンサを外しました。
焦げたコンデンサと抵抗 コンデンサと抵抗を外す 外したコンデンサと抵抗
半田ごてとニッパを使って、その抵抗とコンデンサを注意深く外しました。そして、両者をテスターを使って測定しました。すると、ドンピシャリ異常があることが分かりました。まずは抵抗ですが、正常ならば300Ωのはずが∞でした。つまり焼け焦げて断線状態だったのです。また、焦げ跡があるコンデンサは、なんと抵抗値が0でした。つまり短絡していたのです。
コンデンサ(AとBの間)の抵抗値を測定すると、なんと抵抗値0
焦げ跡がある短絡コンデンサを取り外して、真空管アンプの電源100Vを入れました。すると、B電圧用の電解コンデンサ端子に正常な410Vの電圧が発生しました。もちろんヒューズは飛びませんでした。それまでは50V位に昇圧するとヒューズが飛んでいました。これでヒューズが飛ぶ一番の原因がコンデンサの短絡であることが確定しました。抵抗が熱くなり焦げた時、隣接していたコンデンサも焦げたようです。これはあきらかに抵抗のW数ミスと部品配置ミスです。昭和30年代、こんなミスがあったのですね。
コンデンサを外して電源100V入力 正常なB電圧410Vを確認
そこで、最初の修理をしました。まずは、焦げていた抵抗300Ωを正しいものに交換しました。交換が必要と想定していたため、あらかじめ新しい抵抗を購入していました。その抵抗を取り付けました。一方、コンデンサが短絡しているとは想定していなかったため、コンデンサは今度秋葉原に行った時に購入しようと思います。まずは原因を究明できたことは収穫でした。今後は、古い部品を次々に交換する作業に入ります。さらにその次は、音質を重視した修理に入るつもりです。修理完了はまだまだ先です。
焦げて抵抗値∞の抵抗 短絡していたコンデンサ 正常な抵抗に交換
今の時期、雨と雨との合間をぬって草刈りをしています。今は草がどんどん伸びる時期のため、刈ってもいつの間にか伸びています。今回は、我家の小さな小さな桃園の下草刈りをしました。草刈りをして一番困るのは、クズをはじめとする蔓です。草刈機に巻き付くと始末に負えません。それでもに何とか桃園の下草刈りを終えました。終えて桃の枝を見ると、桃が熟しているではありませんか。桃を収穫する適期になったのです。
雑草が伸びた桃園 下草刈り後の桃園 桃にかぶせた袋
白い袋に、桃の淡い色が見えます。優しく袋を触ると桃の柔らかい感触が伝わります。袋に鼻を近づけると甘い匂いがします。私は、桃の色,感触,匂いで収穫適期を判断しています。袋をチェックすると、中にはカビが生えて黒くなってるものがありました。また、虫、特にアリが入り込んだ桃が少なくありませんでした。
色良し感触良し匂い良しの袋 袋を破ると美味しそうな桃
袋をチェックしながら、傷みが進んだ桃は遠慮なく捨てました。そして、アリが入り込んだ桃は息でアリを飛ばして収穫です。そして、傷みが少ないものは、傷んだ場所を除けば美味しく食べることができるため収穫しました。触っても硬い桃は熟していません。後日収穫するため枝に残しておきました。今回は10個ほどの桃を収穫しました。半分は友達に差し上げ、残りは我家で食べました。桃は我家の最高の果物です。剪定や袋掛けなどの世話さえちゃんとすれば毎年収穫できます。ありがたいことです。
収穫した、どれも美味しそうな極上の桃