野中信行先生が著した『新卒教師時代を生き抜く心得術60』(明治図書)を一気に読み通した。
野中先生は、あとがきにこう記されている。
書き終えて、「なあんだ。この程度の実践をおまえはしていたのか」という思いになった。
しかし、中堅やベテランといわれる教員が読んだとき、この本に表されている「この程度の実践」をどれほどの重みでとらえられるか…
それは、現場人として自分がどれだけ仕事を真摯に見つめてきたか、が問われることになるのである。
確かに、題名からある程度のキャリアを持つ教員は手に取りにくい?本かもしれないが、多くの項目について、自らのそれと比較してみることは決して無駄ではないし、学ぶべき多くのことがあるだろう。
私が勤務している県ではここ数年厳しい教員採用状況が続いている。小学校では全県でも20名程度なのである。
地方の過疎化、少子化が進行している県ではおそらく似たようなものではないか。順調に需要があるとしても、本県では十年以上先になるだろう。
だから、これから多くの新採用者が入るという都市圏の状況、というより教師を目指す方々のイメージがわかないことも確かだ。教職希望の動機がどんなものだろうと思う。
今どき、かつての青春学園ドラマのような展開を期待している志望者は皆無だろうが、どんなに厳しい現実であっても、何か教えたいことがあり、伝えたい気持ちがあるからこそ、この職業を選択するのではないだろうか。
そうした思いを上手くコントロールするために必要な本だと思った。
今まであまり書かなかった教員世界の常識的なことも書いてある。熱意や自分の考えだけでは乗り切れない現実も書いてある。
特に「学級経営」の章に多くが割かれていること、「教科指導」の章も、言ってみれば学習規律や技能面が中心になっているところに、野中先生の主張が強く出ていると感じた。
上條晴夫先生が使われた比喩で言えば、学級を「不安定な湿地」ではなく「安定した草原」として存在させるための緻密な作戦である。
「給食」や「掃除」や「くつだな」のことが繰り返しでてくることの重みは、誠実な学級担任であれば深く肯くところであろう。
草原を維持していくためのポイントは、日常の些細なことにつきるのである。
さて、いくつも肯き付箋を貼りつけた本であったが、読み返して一番好きな記述はここだなあと改めて思った。
好きなこと、得意なことで、子供たちに迫っていけばいい。人と人との出会いで強烈なのは、そこにその人の「本音」があるかどうかである。子供たちは、その教師の本音に裏打ちされた言葉に強く感動する。
子供たちは、「本音」で迫ってくれる先生が好きになり、そしてその教師が好きなもの、得意なものにあこがれる。
いつの時代になっても、この原則は変わらない。
こうした言葉に励まされて、若い教師は大胆さを発揮できるのではないか。
大胆さは、ある意味で教師の醍醐味である。
また、うつむき加減の?職員室に元気さを残していくためにも必要なことと思えてならない。
去年の春、赴任した初日に挨拶したとき、私も似たようなことを話した。
今年も改めて言おうと思う。
野中先生は、あとがきにこう記されている。
書き終えて、「なあんだ。この程度の実践をおまえはしていたのか」という思いになった。
しかし、中堅やベテランといわれる教員が読んだとき、この本に表されている「この程度の実践」をどれほどの重みでとらえられるか…
それは、現場人として自分がどれだけ仕事を真摯に見つめてきたか、が問われることになるのである。
確かに、題名からある程度のキャリアを持つ教員は手に取りにくい?本かもしれないが、多くの項目について、自らのそれと比較してみることは決して無駄ではないし、学ぶべき多くのことがあるだろう。
私が勤務している県ではここ数年厳しい教員採用状況が続いている。小学校では全県でも20名程度なのである。
地方の過疎化、少子化が進行している県ではおそらく似たようなものではないか。順調に需要があるとしても、本県では十年以上先になるだろう。
だから、これから多くの新採用者が入るという都市圏の状況、というより教師を目指す方々のイメージがわかないことも確かだ。教職希望の動機がどんなものだろうと思う。
今どき、かつての青春学園ドラマのような展開を期待している志望者は皆無だろうが、どんなに厳しい現実であっても、何か教えたいことがあり、伝えたい気持ちがあるからこそ、この職業を選択するのではないだろうか。
そうした思いを上手くコントロールするために必要な本だと思った。
今まであまり書かなかった教員世界の常識的なことも書いてある。熱意や自分の考えだけでは乗り切れない現実も書いてある。
特に「学級経営」の章に多くが割かれていること、「教科指導」の章も、言ってみれば学習規律や技能面が中心になっているところに、野中先生の主張が強く出ていると感じた。
上條晴夫先生が使われた比喩で言えば、学級を「不安定な湿地」ではなく「安定した草原」として存在させるための緻密な作戦である。
「給食」や「掃除」や「くつだな」のことが繰り返しでてくることの重みは、誠実な学級担任であれば深く肯くところであろう。
草原を維持していくためのポイントは、日常の些細なことにつきるのである。
さて、いくつも肯き付箋を貼りつけた本であったが、読み返して一番好きな記述はここだなあと改めて思った。
好きなこと、得意なことで、子供たちに迫っていけばいい。人と人との出会いで強烈なのは、そこにその人の「本音」があるかどうかである。子供たちは、その教師の本音に裏打ちされた言葉に強く感動する。
子供たちは、「本音」で迫ってくれる先生が好きになり、そしてその教師が好きなもの、得意なものにあこがれる。
いつの時代になっても、この原則は変わらない。
こうした言葉に励まされて、若い教師は大胆さを発揮できるのではないか。
大胆さは、ある意味で教師の醍醐味である。
また、うつむき加減の?職員室に元気さを残していくためにも必要なことと思えてならない。
去年の春、赴任した初日に挨拶したとき、私も似たようなことを話した。
今年も改めて言おうと思う。