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よく見つめるべき対象

2007年03月17日 | 雑記帳
 修了式の日に発行する学校報を書いていて、一年間の振り返りとして「いじめ問題」について触れた。
 もちろん本校ではその傾向はないのだが、「いつでもどこにでもその種はあること」、従って「よく見つめていかなければならないこと」と書いて…
 ふと、思った。
 子どもだけを見つめていればいいのか…

 『児童心理』(金子書房)の最新号に、河上亮一氏が文を寄せている。

 「いじめ」を生む教師の言動

 福岡県の中学2年生生の自殺に関して、元担任教師による「不適切」な言動が明らかになった問題を取り上げ、二つの角度から考えている。
 その一つに、「学校における教師の位置」ということがある。

 私は、教師という職業の中に、「不適切」な言動を生み出す要因が含まれているのではないか、と考えている。

 教師と子どもの、「上下」関係と人間としては「対等」であるという二重性の困難について書いている。
 かつての社会であれば、周囲の目による教師への支持、コントロールがあり、自己規制は比較的容易であったが、今は明らかに難しくなっているとする。

 教師は今、自分を律することに全力をあげるべきだ

 この言葉の意味をしっかりとらえなければいけない。つまり、日常に埋没せず自己を客観視できるか、ということである。横暴になりがちな教師だけでなく、上下関係に耐えられない教師も増えているという。

 ただなんとなく教師をやっていれば、自分の言動が「いじめ」の引き金になったり、「いじめ」を深刻化する手助けをしてしまうことは充分ありうる

 よく見つめるべき対象は、「自分」ということなのである。