すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

知的なものに突き動かされる幸せ

2007年03月14日 | 読書
 2月末の日曜日に放映されたNHKスペシャルは「学習療法」がテーマだった。
 立命館小学校公開研に参加したときに、講師である川島隆太東北大学教授からその話が少しあったので興味を持って視聴した。

 老人介護施設で「読み・書き・算」を行い、脳機能の回復を試みる内容である。
介護士たちの精力的な活動や機能を回復した老人が手紙を書くくだりなど、いいシーンが多かった。学習室の壁に「くもん」のポスターが貼ってあることもなんとなく記憶に残る。
 もうちょっと知りたいなあという気にさせられた番組だった。

 数日して立ち寄った書店で一冊の本を見つけた。

『「読み」「書き」「算」で脳がよみがえる』(高瀬 毅著 くもん出版)

 ルポルタージュのような形式で、番組で取り上げられた老人介護施設「永寿園」を取り上げ、学習療法とその現実について書き込まれた本である。

 この施設の中心人物であり、活動の推進者でもある山崎副園長さんのお話など実に興味深かった。(なぜテレビでは中心的な取り扱いにならなかったのか…)
 県職員として知的障害者施設の学習係担当となり、手探りで始めたことが、今の仕事で老人対象に読み書き算を行うことにつながり、それが貴重なデータとなっていること。それ以上に学習療法によって、元気さを取り戻した老人が少なくない事実。
 ページ数は少ないが、山崎さんの意志の強さがくっきりと見え、数々の出会いを切り開いて仕事の道筋をはっきりさせているという印象を持った。

 中心テーマからは外れることだろうが、永寿園の人事評価システムの細かさにも驚嘆した。意識改革のために、介護の現場スタッフにテープレコーダーを持たせ、声かけを録音し、みんなで聴いて評価しあったという。
 むろん教育現場と単純な比較はできないが、形式や目標設定のみにとらわれず、風土や空気づくりに時間をかけたという話に見習うべき根本を感じる。

 ルポのまとめの段階で、著者は「痴呆の人に勉強させる意味」を問い続け、このように結論づける。

 人間が学習することのもっとも根源にある価値というのは、貯金のように知識を貯めていくのではなく、何かの利益のためにするのでもなく、いま、このとき、内側からわきあがってくる、知的ななにものかに突き動かされた結果であり、いまと明日を生きていくためにある

 この言葉を、脳の働きや発達とどう結びつけて考えるべきか、専門的知識は持ち合せていないが、おそらくは幼い時の学び、元気だった頃の働き…それらの習慣化が脳の中に何かを形作り、源になっているのではないか。そう思いたい。
 テレビでも本の中でも、印象的なのは老人たちの笑顔であり、充実感を述べる言葉である。

 唐突に思い出す、ある先輩教師から聴いた一言。

 学力とは、幸せをつくる力 

 その意味でとらえると「学力低下」ほど大きい問題はない、ということに改めて気づく。