すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

逝く人あり、春がくる

2007年03月25日 | 雑記帳
 その著作を通してしか知らないのだが、「凄み」を感じた方々が相次いで亡くなっている。


 池田晶子…「考えること」を最大の価値と考える彼女の文章は、なんでもかんでも興味を示してしまう自分に、時に冷や水をかけてくれるものだった。

 昨今の教育現場の風潮、何を勘違いしているのか、「よのなか科」?商売の仕方や金のもうけ方を早いうちから教えることが子どものためだなどと、驚くべき勘違いである。世の中のことは世の中に出てから覚えればよろしい。世に出る前は、世に出る前にしかできないことがある。

 下の表現は冗談ぽく書いてはいるが、一回だけでなく繰り返して表されているところを見ると、こういう気持ちも存在したのかもしれない。池田晶子は、それを実現せずに逝ってしまった。

 もう十五年したら、池田が文部大臣になります。


 時実新子…「川柳なんて」と高をくくっていた自分が、この句に出会ったときの驚いた感覚は今でも覚えているほどだ。

 「ほんとうに刺すからそこに立たないで」

 恋も家庭も仕事も、激しく生きてきた人だ。
 感性の熱が圧倒的だと思った。
 時実はすでに墓碑銘を書いていたというが、下の句に書きかえたい望みがあった。それは実現したのだろうか。

 「白い花咲いたよ白い花散った」
 ぜひともそうありたい。いろいろな花、とりどりの色に咲いてはきたけれど、白い花だと言われたい。
 名は不要。ただの路傍の花でよい。



 そして、城山三郎…私の読書の範疇にその経済小説はなかったが、対談集やエッセイ集などは心惹かれていくつか読んでいる。古武士のような印象、まさしく気骨の人である。
 軸がぶれない強さは、昨今の者が及ばぬ境地のようにも思われた。
 
 この日 この空 この私

 城山の一筆求められた時の言葉だという。
 言葉の重みとは、発する者の生き方がどれだけ重ねられるかということである。
 次の言葉も、やはりどこまでも重い。

 人生の持ち時間に大差はない。問題はいかに深く生きるか、である。深く生きた記憶をどれほど持ったかで、その人の人生は豊かなものにも、貧しいものにもなるし、深く生きるためには、ただ受け身なだけではなく、あえて挑むとか、打って出ることも、肝要となろう。