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情報の海面に出る努力

2007年03月08日 | 雑記帳
 大前研一氏は言う。

 今の社会の中核を担っている世代は、水をブグブグ含んだスポンジみたいなもので、溢れるような情報に浸されながらも、自分の中に新しいものを吸収するという「渇き」がないのである
 『プレジデント』(2007.3.19)

 時々、自分でも思う。
 情報の海の中にどっぷりつかり、脳や身体が目一杯で実際の動きが逆に鈍くなるような状態…
 これは完全に飲み込まれていると思いつつ、なかなか抜け出せずに漂っているのが現状か。

 教えられた答を覚えて吸収するという習慣を、自ら受けた教育の中でしっかり身につけたからなのだろうが、急激に拡大する情報量の多さの前では、それがかえってあだになる。
 ここに、例えば「選択」といったキーワードの重要性があるのだが、まず今はそれ以上に情報の海面に出るという努力が必要だ。

 では、どうすればいいか。
 情報の遮断か。
 それも一つの手ではある。
 しかし、思い切った遮断や制御を行うためには、生活全体の見直しも必要だ。

 スポンジを乾かすためには、吐き出す以外に手はないだろう。
 アウトプットか。
 情報を加工し、自らの発信によってスポンジを絞り乾かし「渇き」につなげていく。
 今、海面に出るためには、それしかないようだ。