すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

方言の強さにふれる

2008年10月07日 | 読書
 思い立って、書棚にあった『CDブック 声に出して読みたい方言』(齋藤孝編 草思社)を手にとってそのCDを車で再び聴いてみた。

 もう4年以上も前に聴いたものだが、うっすらと記憶がある。
 津軽の伊奈かっぺいが全体の進行役も兼ねていて、広島弁の「人間失格」や名古屋弁の「雪国」が、その地方出身の俳優等によって朗読される。味わい深いとも言えるが、やや際物っぽい気もして聞き込むほどではなかった。
 ラストが秋田弁だったのは忘れていたが、今回は、その『八郎』に思わず聞き入ってしまった。
 やはり馴染みの深い語り口、知っている筋に安心できるのか…。
 いやそれ以上に、浅利香津代の語り口が見事であった。端々の言葉遣いに心が揺れた。

 改めて本文を読み直すと、齋藤のこんな解説がある。

 「方言の身体」の持つエネルギー

 様々な地方の方言のもつ「味」を「温泉」にたとえて、存分につかってほしい、とも書いている。
 齋藤、得意のフレーズ「身体のモードチェンジ」には、最適なのが方言だという。

 では、何のためにどんなふうにチェンジしていくか。
 津軽には津軽の風土があり、広島には広島、沖縄には沖縄の風土に根ざしたものがあるはずで、聞き込むことでその精神性を感じ取り力や技としよう、という意図だと思う。

 暮らしている所と違う場所の方言に浸ることによって、何か得られるものがあるのか。
 これは微妙なところではあるが、否定はできない。確かにある方言を使ってみることで、そういう雰囲気になることはあるし、そうした心持が強化される場合もあるだろう。
 「なんくるない」しかり、「どげんかせにゃならん」(笑)しかり…。

 それはさておき、今自分が浅利の方言を聞いて、少し揺さぶられたのは単なる懐かしさではない気がしている。
 自分がかつて慣れ親しんできたことばの強さを再認識したといっていいかもしれない。
 もうちょっと聴き直してみたい。