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コドモもオトナも

2008年10月13日 | 読書
 書店の文庫本のコーナーに、『コドモのコドモ』(宮下和雅子著 双葉文庫)があったので、ああ例の映画の原作本かと思ってすぐ購入した。

 読み始めてから、改めて中身を見るとこれが「映画ノベライズ」つまり脚本を小説にするパターンの作品、そもそも本の帯にもそう書かれているし…
と、まあそんなことはいつものことではあるが。

 本県の能代市が舞台となっているというのでそれなりの関心はあったが、それ以上に小学生の妊娠、出産を扱うということについて知っておきたい気持ちを持っていた。
 学校現場にいる者からすると舞台設定には多少の違和感もあったが、ある程度予想される展開ではあった。

 小学生の妊娠、出産について、もし現実にそれに似通った場面があったとすれば、それはおそらくこういう言い方をされるだろう。

 事故

 非行、問題行動、事件、あってはならぬ出来事…いろいろな言い回しがされようが、やはり事故を使う気がする。
 その言葉で説明し、納得し…といいうことになろうか。
 しかしよく考えれば、どんな種類の事故にも原因があるし、どんなに偶然性の大きい場合にも無理や無茶、過失はどこかにあるはずだろう。その点を考えなければいけない。
 そしてもっと課題なのは、事故にどう向き合うのかということだ。いつも問われる肝心なことだ。
 それを取り巻く人間が、今後どの程度の注意と関心を、その事故に向けられるか。

 きっと人生観のような大きな枠組みとその現場だけが持つ対処の仕方を、どう絡ませることができるか、という個々の視点で悩む…。この設定はかなり難題だ。
 登場する人物たちも悩んでいる。しかし、小説を読んだ限りではこの描き方では見えてこない深さがまだあるように感じる。

 ただ秀逸だと思ったのは、章ごとにつけられた小見出し。
 題名に引っ掛けられているのだが、意味ありげなネーミングであり、その意図が明確に出ていると思った。
 この四つが特にいい。

 コドモなコドモ  オトナのコドモ 
 コドモなオトナ  コドモのオトナ

 自分もどれかにあてはまると困る?「オトナのオトナ」がないしねえ、なんて考えたりしながら、つまりこの作品は、「コドモ」の存在の見方を問いかけているんだね、と結論付けた。