『男の絵手紙』(小池邦夫著 中央公論新社)という本がある。
この中で、著者から「究極の、男の絵手紙」と称された男がいる。
著者はこうも書く。
自分の言葉か
自分の好きな言葉しか書かない。
借り物を描かない。
これは、彼の人生そのものでなかったか。
好きな俳優の一人であった。
緒形拳
なんといっても、それは「太閤記」から始まった。
幼い自分にとっての、NHK大河ドラマデビュー(視聴したという意味)である。
なんといっても、それは「必殺仕掛人」である。
人を殺すという役回りを、きっと初めてかっこいいと思った藤枝梅安である。
いつも強い役だけではなかったように思う。
例えば「鬼畜」、例えば「楢山節考」…切ない視線だけが、妙に頭に残っている。
その年代、時代に沿うように演じてきた役回りは、どれも存在感があった。
やはり、緒形拳でなければ演じられない何か…いや、きっとその役を自分に引き込むという感性が並外れていたのだと思う。
語る言葉、書く字もきっとそうだ。そのことが「借り物を描かない」ことなのだ。
俳優という職業でいえば、まさに借り物を演じるのが仕事であるが、「借り物を演じない」という高みがそこにあるはずだ。
合掌。
この中で、著者から「究極の、男の絵手紙」と称された男がいる。
著者はこうも書く。
自分の言葉か
自分の好きな言葉しか書かない。
借り物を描かない。
これは、彼の人生そのものでなかったか。
好きな俳優の一人であった。
緒形拳
なんといっても、それは「太閤記」から始まった。
幼い自分にとっての、NHK大河ドラマデビュー(視聴したという意味)である。
なんといっても、それは「必殺仕掛人」である。
人を殺すという役回りを、きっと初めてかっこいいと思った藤枝梅安である。
いつも強い役だけではなかったように思う。
例えば「鬼畜」、例えば「楢山節考」…切ない視線だけが、妙に頭に残っている。
その年代、時代に沿うように演じてきた役回りは、どれも存在感があった。
やはり、緒形拳でなければ演じられない何か…いや、きっとその役を自分に引き込むという感性が並外れていたのだと思う。
語る言葉、書く字もきっとそうだ。そのことが「借り物を描かない」ことなのだ。
俳優という職業でいえば、まさに借り物を演じるのが仕事であるが、「借り物を演じない」という高みがそこにあるはずだ。
合掌。