すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

見ているのは風、自分の内…

2008年10月11日 | 読書
 昨日書いた『ねむりねこ』(伊集院静著)の中に、もう一つ心にしみ入った文章がある。
 「風を見る」と題されたその小編は、氏が定職につく前に8年逗子に暮らした頃のことである。この頃の体験はよく随筆や小説の設定として使われているようだ。
 この時期、氏はある先輩から「毎日一度海を見て、それを描写した日誌をつけるように言われ」、殴り書きを始めたという。そして、それを一年余り続けた。
 厄介だと愚痴を言いつつ、海の色調、様相の変化を見つづけた。そして海の描写を記したのだが、こんなふうに述懐する。

 振り返ってみれば、あの八年は、海を見ていたのではなく、海を波立たせる風を見ていたのかもしれない。

 この文章は「しかしよく考えると」と続き、風自体がつかみどころがなく、かたちないものであるから、こういう収め方となっている。

 かたちのない自分の内に在るものを見ていた歳月とも言える。

 今、自分は「定点観測」という言い方をして、あることを続けている。
 それで何か少し見えるような気がしてきたこともある。
 しかし、氏の文章を重ねてみると、観測している対象は自分の思っているそれでなく「風」であり、「自分の内に在るもの」だということに、今さらながらに気づかされる。