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「公益」が問われる

2008年10月02日 | 雑記帳
 学力テスト結果の開示問題で、本県の動きも注目されている。
 Web版にはないようだが、新聞紙上の記事で知事は「公益」という言葉を使って議会答弁していた。

 この言葉は考えてみるに値すると思った。
 「公益」とは何か。
 むろん、公共の利益ということであるが、開示にこだわる知事が「公益」というならば、文科省や市町村教育委員会の考えていることも「公益」だろう。
 そのとらえ方に違いがでるのは、開示という手段の及ぼす影響について異なる見解を持っていることになる。ただこれもいくつかの視点を持っているだろう。
 つまり開示した場合の県民の反応がどうでるか、という予想が異なるということもあるし、反応に対して当事者として取り組むべき方向が異なるということもあるだろう。
 その歩み寄りは可能か。価値観の相違となるだろう。
 難しいかもしれない。

 もう一つ、公益の対象は納税者ということになろうが、私はやはり子どものことを考える。
 子どもに対して益と言えるのか。
 大げさな言い方ではあるが、「教育の目的」に照らし合わせた場合の益になるのか、ということである。

 限定された学力テストの結果は、おそらくは「国家及び社会の形成者」につながる「人材」的な見方としてある面有効に働くが、「人格の完成」という前段にどう関わってくるか、その点はけして明らかではあるまい。
 「人材」という言葉が一般化してしまい、教育の場でも普通に使われるようになったが、これは注意を要する言葉である。
 70年代の中教審が使った「人的資源」という言葉に遡るのかもしれない。
 物的資源と同様に扱えることとそうでないことが明確にあることは、時々声に出してみないと風化されていく。そんなご時勢である。

 公益はどこを向いているのか。
 そこに、すりかえはないのか。
 それが問われている。