すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

文士が花を見れば

2008年10月10日 | 読書
 まったくの植物オンチである。
 どういうわけか名前もよく覚えられない。

 こういう自分は作家伊集院静の愛読者の一人だが、さすがに草花のことがさりげなく書かれた文章は、その面の知識がなくて味わい尽くせないことがしばしばある。

 九月発刊の文庫『ねむりねこ』(講談社文庫)も、そうした類の文章が目に付く随筆集だった。

 鉄線  石蕗  下野草 …

 花に喩えた文章のイメージがわかないのが、少し悔しい。
 しかし、色や形ぶりに違いがあるがいずれも派手ではないことが読みとれる。野にあり、他の邪魔にならぬよう、それでいてたくましく命を咲かせようという姿は共通のものではないのか。
 氏が文章に描き入れる花は、ほとんどそうした設定である。
 そういう氏の心の有り様を物語るこんな文章を見つけた。

 花屋の花には生存競争で生き残った生物の残酷さがある。あわよくば隣に咲く花も喰ってしまうのでと思える強靭な面構えをしている。

 そんなふうに、店頭の花を見つめたことはなかった。
 様々な場の、たくさんの花を眺め、その違いに思いを馳せ、美しさを感じとってきたからこその言葉だと思う。それゆえ「文士」なのだと思う。

 上の文章は、こう続く。

 それは人間にも言える。