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自然保護を口にすること

2008年10月12日 | 雑記帳
 金曜日の研修会で、日本自然保護協会自然観察指導員などたくさんの肩書きを持つ半田克二郎さんの話を聴いた。

 1時間半ほどの講演のベースとなっているのは、冒頭部分でおっしゃった。次の言葉だろう。

 豊かな自然って何だろう
 
 秋田県人に本県の良さを尋ねると、アンケートでは必ず「豊かな自然」が上位になるという。頷けるし、自分もその選択肢にマルをつけるかもしれない。
 しかし一歩立ち入って「自然」を考えれば、本当にそう言いきれるかどうか…半田氏の言葉は、そこを本質的についてくる。

 例えば、ブラックバスが果てしなく拡がってきたこと、例えばイモリがいなくなっていること。そして、以前に観察会で連れていった小学5年生が誰一人「杉」の木を知らなかったこと…足元の自然についてそういう体験をしない、事実も知らない子どもが(大人もそうだが)、「自然保護」を口にしていいものなのか。

 「環境を守る」という意味は結局どういうことなのか。
 特定の生物を保護しようとした場合、それは自然界の連鎖を考えることにつながる。そういう見方を私たちはできているだろうか。見えることばかりにとらわれているのではないだろうか。

 人間に都合のいいものも悪いものも全部含んで自然である

 半田氏のこの言葉も重いと思う。
 自分たちの便利さとどう折り合いをつけていくべきか、格好いい結論など出てこない。

 最後に白鳥の餌付けの話題がでた。
 隣市でそのスポットがあったが、例の鳥インフルエンザで出来なくなるだろう。氏は白鳥の渡りの実態に触れ、こうなったことを歓迎し?こんな言い方をしていた。

 人間ができるのは餌を与えることでなく、餌がとれる環境を作ってやることだ

 餌付けによる鳥の本能や力の減退…これは子どもの教育にも言えるなあ、と一人納得してしまった。