すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

みっともねえという感覚

2009年08月25日 | 雑記帳
 立川談春が再び来るというので、いそいそと秋田市まで出かけた。

 今回はまったくの独演会で、正味2時間強たっぷりと堪能することが出来た。
 その良し悪しを語るほどの通ではないので、細かくは言えないが、ほぼ客席全体を見渡せる後方位置から見たときの観客の集中度、特に二席目の「妾馬」の後半は凄かったなあ、と思う。

 最初の「子ほめ」で、八五郎と伊勢屋の番頭とのやりとりの中に、たしかこんな台詞があった。

 「往来で、人の歳を訊くなんて、そんなみっともねえ~~~」
 
 今まで「子ほめ」を何度か聴いてこんなところで引っかかったことはなかったのだが、噺家によって細かい違いは当然あるだろうから談春だけが言っているのかもしれないし…と思いつつ「みっともない」という言葉が、心の中にすとんと置かれた。

 江戸、上方双方のバージョンがあるとはいえ、舞台となっている時代では、路上で年齢を訊くことはみっともないことだったのだろう。歳についての話題は礼節を欠くという考えは確かにあるかもしれない。

 そういう文化の良し悪しはともかく、この「みっともない」もやや死語化していないか、ということがある。
 人の目を気にして行動する、多くの日本人が持つそういう習性?によって抑えられてきた様々なことがあり、短所・欠点でもあるのだろうが、それによって維持されてきた品性もあるのではないか。

 他人様の目にふれても恥ずかしくない言動、姿形…そのラインが限りなく低下してきているし、私たちの感じ方もずいぶんと緩くなってきた。
 そういう流れが加速したのはずいぶん前のことだが、象徴的なのはあのツービートの名ギャグ「赤信号みんなで渡れば怖くない」だと思う。
 その赤信号を私たちはみんなで渡ってずいぶん遠くに来てしまったのだろうか。

 談春が高座前夜に見た大曲の花火のことを話題にしたが、63万人の整然とした動きを感心したように語ったことも、やはり「みっともねえこと」に対する一つの感覚なのだと思う。