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秋田語の衰退と学力向上

2009年08月20日 | 読書
 『珍版 秋田語の教科書』(加藤隆久著 三文舎)という本を、行きつけの書店で見つけた。
 著者は秋田市在住で、私より三歳年上であるようだ。

 年代的には収録された言葉全てをわかってもいいはずだとは思うが、そこは地域ごとの言語の違いも多く、2割ほどは使ったことがないなあと思うものもあった。

 この類の本を読むと、改めて「言葉がなくなるというのは、そういうモノがなくなる、そういう生活がなくなること」だと知らされる。

 例えば「ガンコ゜(鼻濁音)」という言葉がある。
 この意味は「空洞・すき間」だが、ほとんど使わなくなっている。スイカを食べようとして割ると、昔はガンコ゜だったことはしばしばあったのだが、今そういうものは市場にもでないし、品質改善がずっと進んでいるのかもしれない…

 それはさておき、様々な言葉の解説がなかなか面白い。
 秋田では「○○ダヲン」(○○だもの、○○だから)という言い方があるが、そういう短縮形で理由や状況をはっきり言わないことが目立つ。つまり聞き手が状況把握をしてくれるものだという前提のもとに語られるケースが多いという。
そして、それに伴う良いこととしてこんなふうに結論づける。

 状況把握の能力に長け、わずかな言葉の表面からも豊かな情景を思い描くことのできる頭脳の持ち主が多い。
 
 逆に「聞き手の能力に甘えた、不十分な表現を常とする言語」という一面が、ある能力育成を阻害しているとも書く。

 問題の内容は解っているのだが、答えようとすると出題者の求めるような言語表現が出てこない 

 とすると、秋田語全体の衰退は能力的にいうと、その逆になるのかなあと漠然と思う。
 そうか、秋田語を使わないことが言語表現力を伸ばすのだ!
 それが学力テストの結果に結びついている!

 と考えるのは、やはり少し無理があるでしょうね。

 著者の独断とは思うが、次の一節も興味深い。どこかで検証してくれないかしらん。

 (秋田の)知的レベルのピラミッド型構成図は、日本とはまったく正反対といえる。