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鍛国研津軽…その弐

2009年08月12日 | 雑記帳
 横山浩之先生による「野口先生の授業を医師の目から分析・解説」は非常に興味深かった。
 かなり以前仙台での会だったと思うが、ほんの少しそうした解説を伺った記憶がある。しかし今回は十分に時間をとった解説であり、かつ十分に納得のできるものだった。

 Bloomの教育目標分類をもとに語られたが、この三領域を意識することは、授業づくりにも、授業分析にも、かなり役立つのではないかと考える。

 すぐれた授業は三領域を満たす
 
 「認知領域」「情意領域」「精神運動領域」…一時間の授業が単元全体のどの位置にあるかで、三領域のバランスは異なるだろうし、また担任の考え方、鍛え方によって三領域のレベルの頻度も違ってくるだろう。そこに意識的であることは授業力を高めるうえで効果的に働くはずだ。

 実は、会の前日にある月刊誌を読んで疑問に思っていたことがある。著名な実践家である岩下修氏の発問が載せられていた。

 発問A  先生には、どうしても不思議なところがあるのですが、一緒に考えてくれますか?

 というものである。
 これが発問かと思った。
 手元にある「授業研究用語辞典」も開いてみた。どうも腑に落ちない。

 この「発問」に対する子どもの返答はあきらかに授業を左右するものであるが、あまりに包括的ではないかと考えた。ただ、内容のみに縛られた窮屈な見方を自分がしているかもしれないという思いもあり…。

 資料Bloom の教育目標の分類によれば、岩下先生の発問は「情意領域」に問いかけていることになる。
 その発問を考えつき「これで、いけると思った」わけは、明らかに情意領域(態度・習慣)が育っているからだと予想される。つまり、「受け入れ」の段階を越え、「反応」に働きかけているわけだ。

 それは結局、担任と子どもが、そこまでの授業内容を通して関わりを持てているからこその「発問」なのである。そんなことを考えた。

 その一言で授業が動くためには、的確な子どもの見取りが必要である。
 そう考えると、野口先生の飛び込み授業における発問、指示が三領域のどれもに働きかけていたことの凄さが今さらながらに見えてくる。