すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

お盆休みの戯言か

2009年08月16日 | 読書
 「多面的な見方」とか「複眼的な思考」とか、よく自分も口にはするのだけれど、それにしたって何か大きな河に流されている棒切れの範囲のこと…そんなふうに思う時がある。

 今、感じている、考えている自分は確かにここにいて、立ち上がることも声を出すことも頭をかきむしることも出来るのだけれど、それをしないままキーボードに向かう俺っていったい何?など、わき上がってくる時もある。

 自分が「自由」にものを見ているなどとは考えたこともない。そう言いながら、何から自由になれないのかをあまり突き詰めて考えてもこなかった。

 何かの枠組みで考え、誰かの影響を受けながら言葉を紡ぎだし、その言葉の流れの密度や速度によって消化の程度はわかっているつもりだが、それに満足できるのはほんのわずかだ。


 『寝ながら学べる構造主義』(内田樹著 文春新書)を読んだ。

 お盆休み、まさに寝ながら読んだ。
 時折、眠りにおちて本をバサリと落とす。初めて触れる哲学者たちの考えにほおうっと思ったり、読みきれず活字だけが走っていったりしながら、読み終えた。

 その程度の自分が所属する構造など何ほどのものかと思うが、その現実もまた構造の一部でしかあり得ない。

 自己判断の客観化という大人の考えもまた、それを包む強い主観を作るための問いの立て方とセットになっていることを知らなければ、実行しなければ、単なる腑抜けの戯言である。先祖も浮かばれまい。