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鍛国研津軽…その壱

2009年08月11日 | 雑記帳
 野口芳宏先生の5年生対象の授業。
 「大造じいさんとがん」の最終場面である。

 飛び込みしかも夏休み真っ盛りにわざわざ登校してきた子どもたちが相手である。教室は参観者であふれ、気温もだいぶ高い。45分集中を切らさずに学習を続けることもかなり困難のように感じた。
 その中で子どもたちがほぼ集中をきらさず活動を続けた理由を考えてみると、一番大きいのはやはりこれかなと思う。

 言葉にこだわった発問の連続と筆答の指示  

 野口先生の授業にしばしば見られる型であるが、今回は特にそれを感じた。発問として子どもたちに問いかけたのは次の5つである。(これ以外にも、子どもの返答に対する全体への問いかけもある)

「なぜ、大造じいさんは残雪をおりの中に入れたのか」
「なぜ、晴れた日を選んだのか」
「『じいさんは、おりのふたを~~』の文で一番大事なことばは何か」
「『一直線に』はどういうことを表しているのか」
「じいさんが残雪を不満と思っていないことがどこでわかるか」
 
 読み流してしまうような箇所を取り上げ、作品の核にふれていくという見事な構成だと思う。各発問、指示のレベルが教育目標論としてどの位置にあるのかも横山医師から的確な説明を聞き、得心した。

 作品を徹底的に読み込み、言葉へのこだわりを持ち、自分の解釈を完成させているから、こうした発問が生みだされていることは間違いない。
 特に「一直線に」を扱ったところで、ともすれば「人間と動物の心の通い合い」のような甘い想像をしがちだが、「野生」という一言で束ねられたときには、目を見開かされた思いがした。

 ただ今回は野口先生の「受け」には多少の疑問が残る。
 あれっと感じたところは二ヶ所あった。子どもの返答の不完全さを補う問いかけをなさらず、そのまま取り上げて解釈が進んだことが残念だった。そうしたモヤモヤさを抱えて終わった子も中にはいるのではないか。

 子どもの声の解釈は急いではいけないことを痛切に感じた。
 そのためにどんなことをすべきだったか、自分の中で二、三の方法が思いついたことも収穫である。