すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

鬱蒼とした森の入口で

2009年08月19日 | 読書
 大学時代に少しばかり詩をかじっていたことがあったのだけれど、愛読するのはもっぱら平易な表現をする詩人ばかりで、その意味で吉本隆明は齧りたくても歯が立たないという印象ばかりが残っている。

 それが糸井重里によって誘われ、対談集やら単行本などいくつか読めるようになった。しかし、今回またその言葉に接するとあえなく敗北してしまいそうな自分を感じる。

 『吉本隆明の声と言葉』(糸井重里編集)はCD&BOOKという体裁であり、中心は糸井がセレクトした吉本の講演の断片となっている。

 文学、経済、哲学、宗教・・・とそれなりの知識がないと理解し難い声が多くしばしば考え込んでしまうし、一読(一聞)しただけでは私にはすうっと入ってこない。

 ただ、声にしたときの話しぶりによって妙に納得のいくような部分も確かにある。

 糸井はこんな表現をして解説している。

 吉本隆明に連れて行かれる鬱蒼とした森
 
 さしずめ私などは、それを体験した糸井にその鬱蒼とした森の入口まで連れていかれたが、その場所に捨て置かれてどうしようか思案にくれている…といった状態か。

 しかし、そこからも少し覗ける森はどこまでも深く、堂々とした大樹の存在感に満たされる気配がして、魅力的である。

 吉本のこんな声が響く。

 つまり僕らの考え方からしますと、消費社会と言いますけど、消費ということと生産ということとは同じなわけです。誰かが生産するときに、必ず何かを消費するわけです。

 つまり「いいことをしているときは、だいたい悪いことをしていると思ったらちょうどいいんだよ」ということを本当は知っていない