ネットは暇つぶしの場であり、人々が自由に雑談をする場所である。放課後の教室や居酒屋のような場所である。
『ウェブはバカと暇人のもの』(中川淳一郎著 光文社新書)
この本を読んで、実に言い得ているなあと感ずる箇所である。
とてつもなく巨大な居酒屋に、様々な人々が行き交っている。
大きなテーブルがあり、カップル・家族向けあり、もちろんカウンター席もあるし、奥まったところに個室も用意されている。
カウンターあたりにはいくつもの掲示があり、ひっきりなしにお薦めメニュー、各種コマーシャルが流されている。
広いロビーを歩き回り、宣伝をしている人が多数。関心を示さない真面目な人もいるし、すぐ飛びついてしまう人もいる。関心の高い対象は、いくつかのパターンがあるし、それは現実生活でも同じことだ。
騒がしい室内だけれど、自分たちの会話に夢中なグループにはそんなに邪魔にもならないのだが、トイレに行こうと思ったりして席を立つと、それぞれの席の様子が結構見えてきたりする。
怪しい会話をしている、難しくて交わされている言葉がわからない、くだらなく笑ってばかりいるグループもいる。中には店内をひたすら歩き回って文句をつけている奴がいる。そのつけ方が面白いと一気に人が集まり罵倒する場もあり…。
そして多くの客の顔は見えない。
と、まあそんなイメージが浮かんでくる。
「ネットは人の生活を大きく変えた」とよく言われるけれど、では実際何がどの程度変わったのか、自分に問うてみると意外と根本のところは変わっていなくて、この書名であれば、バカは依然としてバカのままで、暇の使い方だけが変わったというべきか。
便利さを感ずることは多い。しかし何かに代替できることも確かだし、結局便利になった手間を何に振り向けているか、ということに尽きてしまうのではないか。その分丸々をひっきりなしに掲示されるメニューを見て、あれこれ考え込んだり注文したりするのでは、まさに暇人そのものだ。
ネットの可能性を知りつくしながらも、その限界や暗部ともいうべき事例について、今まで知り得なかったことも含めて提示されており、なかなか勉強になった一冊だった。
「マスゴミ」「集合愚」などという造語の見事さにも感心してしまう。
ネットの力を十分生かして…などというレベルには向かおうとはせずに、ネットがあるのでこんなに重宝してますけどネ、という程度が自分には妥当だと感じさせられた。
居酒屋でもあまり他の席に目を移さず、落ち着いてじっくりやりましょうや、ということだ。
『ウェブはバカと暇人のもの』(中川淳一郎著 光文社新書)
この本を読んで、実に言い得ているなあと感ずる箇所である。
とてつもなく巨大な居酒屋に、様々な人々が行き交っている。
大きなテーブルがあり、カップル・家族向けあり、もちろんカウンター席もあるし、奥まったところに個室も用意されている。
カウンターあたりにはいくつもの掲示があり、ひっきりなしにお薦めメニュー、各種コマーシャルが流されている。
広いロビーを歩き回り、宣伝をしている人が多数。関心を示さない真面目な人もいるし、すぐ飛びついてしまう人もいる。関心の高い対象は、いくつかのパターンがあるし、それは現実生活でも同じことだ。
騒がしい室内だけれど、自分たちの会話に夢中なグループにはそんなに邪魔にもならないのだが、トイレに行こうと思ったりして席を立つと、それぞれの席の様子が結構見えてきたりする。
怪しい会話をしている、難しくて交わされている言葉がわからない、くだらなく笑ってばかりいるグループもいる。中には店内をひたすら歩き回って文句をつけている奴がいる。そのつけ方が面白いと一気に人が集まり罵倒する場もあり…。
そして多くの客の顔は見えない。
と、まあそんなイメージが浮かんでくる。
「ネットは人の生活を大きく変えた」とよく言われるけれど、では実際何がどの程度変わったのか、自分に問うてみると意外と根本のところは変わっていなくて、この書名であれば、バカは依然としてバカのままで、暇の使い方だけが変わったというべきか。
便利さを感ずることは多い。しかし何かに代替できることも確かだし、結局便利になった手間を何に振り向けているか、ということに尽きてしまうのではないか。その分丸々をひっきりなしに掲示されるメニューを見て、あれこれ考え込んだり注文したりするのでは、まさに暇人そのものだ。
ネットの可能性を知りつくしながらも、その限界や暗部ともいうべき事例について、今まで知り得なかったことも含めて提示されており、なかなか勉強になった一冊だった。
「マスゴミ」「集合愚」などという造語の見事さにも感心してしまう。
ネットの力を十分生かして…などというレベルには向かおうとはせずに、ネットがあるのでこんなに重宝してますけどネ、という程度が自分には妥当だと感じさせられた。
居酒屋でもあまり他の席に目を移さず、落ち着いてじっくりやりましょうや、ということだ。