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すべからく級訓を持つべし

2010年01月29日 | 雑記帳
 大妻女子大学の校訓は「恥を知れ」だそうである。

 簡潔明瞭。こうした戒めの言葉がもっと必要ではないか、そんな気がする。

 昨年春、着任直後に文科省の進める「校訓を生かした学校づくり」への応募を奨められ慌しいままに文書作成した。そんな時期での取り組みだからもちろん取り上げられたりしなかったが、実は面白い要素を含んでいるのではないかという気持ちが残ったのは確かだ。

 小学校から大学まで自分が入った学校で「校訓」と称されるものがあったかどうか、唯一思い出せるのは高校の体育館の正面に大きく掲げられていた「動」と「静」という大書である。
 ああ、そういえば、中学の体育館にも「自主」「民主」ともう一つ何か掲示されていた記憶がある。あれは当時の職員団体のスローガンだったのだろうか。

 しかし、6年生の担任が口癖のように言っていたこの言葉は忘れない。

 「心頭滅却すれば火もまた涼し」…意味不明な「メッキャク」という響き、「火もまた涼し」の飛躍、そうした要素がずっと何十年も記憶させている要素だろうが、今まで何度か頭に浮かんできたこともあるから、これも一つの「級訓」と言えるのかもしれない。

 すべからく級訓を持つべし。

 どこも似たような言葉で学級の目指す子を文章化するよりずっといいのではないか。
 担任の願いの強さをそこに表し、常々口にして頭に叩き込む。
 習った多くのことが忘れ去られても、その言葉は人生のピンチの時、チャンスの時、ひょいと顔をのぞかせたりする。 
 
 教師にとってこんなに嬉しいことはないではないか。