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あるべき学力を語ろう

2010年01月17日 | 雑記帳
 「学力向上」をテーマとした先日の講演をどう受け止めるべきか、いろいろと考えてみたいことがあった。
 その一つは「学力」という言葉である。

 講師は「基礎学力」と「受験学力」という二つの言葉を挙げてその違いを手始めに語り、本県教育の現状と課題と進めていった。多様なデータを用いた展開はそれなりに説得力のあるものだったとは思う。
 しかし、肝心の「学力」について踏み込んで考えなければ、結局は思考停止のまま点数稼ぎの教育?に勤しんでいくだけではないのか、そういう疑問が頭について離れなかった。

 「基礎学力」とは何か。
 全国学力調査に表れた結果をみて評価していいことなのか。
 様々な所管のトップは繰り返し言っている。
 「それは学力の一部にしか過ぎない」と。
 まさしくその通り。従って「基礎学力」と「受験学力」という二つの立て方は、様々な疑問が生ずるものである。
 今回の講演で語られた基礎学力(と称されたデータ)とは、点数として表れた数値以外の何物でもない。それを典型として語ることに、違和感を感ずる。

 「学力」といったときに、思い浮かぶ一冊の本がある。

 『新学力観と基礎学力』(安彦忠彦著 明治図書)

 90年代後半、いわゆる新学力観についての論がまだ様々に交わされていた時期である。
 まだ細々とサークルを続けていた頃である。その本をもとにしながら少し勉強しようと思った。演習のような形で話し合ったことがある。
 提示した問いは次の三つ。

・学力って何ですか?ずばり一言で書きなさい。
・例文A、Bの学力の使い方について説明しなさい。
・「基礎学力」とは何のことだと考えていますか。短く書きなさい。

 最後の設問を取り上げて本の内容をみると、安彦氏は少なくても三つの分類があるとしている。(安彦氏の立場は①)
①人間として必要な基礎学力(読み書き算)
②学問研究の基礎としての基礎学力(上位の学力に対する下位)
③国民として必要な基礎学力(義務教育の内容すべて)
 
 私たちはふだん「基礎学力とは何か」などと語りあうことはないが、「必要な指導」を考えるときに意識するべき事項だと思う。
 特に初等教育の現場において、①②③に見られる相互関係をどうとらえてカリキュラムを作っていくのか、結構シビアな問題でもある。
 「基礎学力が大切だ」という考えは、何を重点として指導していくかと直結している。

 講演の中での「基礎学力」という使われ方は、③の一部と言ってもいいのだろうが、現状を見ているとかなり「受験的学力(調べることを前提としているという意味で)」という要素が大きくなっていることは否めないだろう。
 それは、受験のための基礎という位置づけが広がることを意味してはいないか。

 そういったなし崩しを防ぐためにいくつか大切なことがある。
 そして、その中で最も肝心なのは、教師自身の「学力観」の問いかけではないだろうか。「理念学力」を求める姿と言っていいかもしれない。

 あるべき学力を子どもの姿で語るにふさわしいのは、やはり私たち現場にいる者でありたい。