すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

書くことで乗り越える

2010年01月20日 | 読書
 次の二冊を再読した。

 『日記力 「日記」を書く生活のすすめ』(阿久悠著 講談社+α新書)

 『頭より先に手が動く! メモの技術』(坂戸健司著 すばる舎)

 特に意識したわけではないが、「書く」という並びになった。
 趣きの異なる二冊ではあるが、読み終わってみていくつか共通する考え方があることがわかる。

 どちらも「とにかく文字にする」ということにこだわっている。
 文字化は、つまり視覚化であり客観化である。

 自分のふと浮かんだこと、つぶやきのようなものであっても、かなり独善的なことであっても、文字にした瞬間に自分から離れて、認識できる対象になるということだ。
 また、ニュースや他者からの情報をそのまま書きつけたことであっても、結局は自分というアンテナに引っかかった事柄であるということが決定的である。

 従って、次に共通することは見直すということである。
 そこで取捨選択があり再構成されることになる。
 そのあり方や方法は、両者では目的や方向が違うので一緒にできないが、いずれその作業がルーティン化され、また一つの楽しみにもなっているようだ。

 もう一つ。加速しているマスメディアへの対し方が明確であるという印象をうけた。
 もちろん活用はしているが、その利点も限界も飲み込みながら、自ら「書く」ということに集約させている。
 自分なりの強いツールを持っている強さとも言えるだろうか。

 書くことは、多くの無駄を抱える危険性をもつ。時間の無駄、物質の無駄、空間の無駄…しかし、思考の無駄を乗り越えられる希望は確かにある。