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暴走老人、一歩手前

2010年01月19日 | 読書
 『暴走老人!』(藤原智美著 文春文庫)が面白かった。

 何気なくしていると思っていたことの背景をあぶり出してみせる…この作家の真骨頂が発揮されていると感じた著書だ。

 いくつもそうした事柄があったが、特にああそうかと思わされたのは次の箇所である。

 「待つ」から「待たされる」へシフト
 
 日常は「待つこと」で占められているが、便利さによってどんどんそれが短縮されているにもかかわらず、待つストレスは減っていない。むしろ「待たされる」ことに過敏になっている現状があるということだ。
 この現実はとても重い。
 それらは例えば、こんなふうな姿となって現れる。

 スムーズな流れが支障をきたすとき、多くの客がラインを動かす立場をとり、ラインそのものと化して、不ぞろいの部品を排斥するような情動を覚え、行動する。しかも、無意識のうちに。 

 チェーンのコーヒー店しかり、ファーストフード店しかり、コンビニやスーパーのレジでの支払いしかり。『マクドナルド化する社会』(J・リッツア著)を引用しながら、従業員だけでなく客自体がラインの一部になっている現状とそこにある心理を、見事に描き出している。

 そこから導きだされる「透明なルール」という概念は、納得だった。
 必要以上の丁寧さ、過剰なまでの配慮などが新しい行動規範になってきている今、それらに同調できない、いや圧迫されつつある年齢層が、上手に感情をコントロールできるのか、それが個人の生とどうかかわるのか…老いに片足を突っ込み始めている自分にとっても、もはや現実なのである。