すぷりんぐぶろぐ

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明るく元気にだけでは備わらない

2010年03月10日 | 読書
 先週私用があり上京するときに、車内で読む文庫本でも思い、駅の売店で買ったのが、『遊行の門』(五木寛之著 徳間文庫)。

 『大河の一滴』以降のエッセイは、どうも書いていることがワンパターンのような気がして、この頃はあまり読んでいないのだが、たまにはいいかと思い買い求めた。

 目標達成、プラス思考、ポジィティブ…世の中の明るく前向きな姿勢に対して、それだけでは駄目だろう、後ろ向きでマイナス思考をしてもよいよ、現実に涙を流してもよいよ、と悟ったような声で語りかけてくるパターンはいつも通りである。
 しかしまたこういう文章に触れて安心できる要素も確かにあるなあと思う。自分もまた老境!ということなのだろうか。

 さて、初等教育の場にあるとき、「明るく元気に」は大きなスローガンではあると思う。子どもは本来活力があるものだし、それらを基本的に引き出すこと、溌剌さのある場所でありたいと願っている。
 ただそれだけでは成り立たないという思いはずっとあった。

 単純な明るさ、元気のよさ、それからぴりっとしたしつけが行き届いて整然としている…そうしたことを持ちあわせている集団は、どこか危うい面も持つ場合も多いものだ。
 表面的な部分ではかりしれないことの大きさなど、学校に数年勤めればほとんど感じることができるだろう。

 五木がここ数年ずっと書いていることを、そっくり受け止められるわけではないが、「うつ」も「マイナス思考」も全てあるものだというとらえを私たちは持つ必要がある。

 何か問題があればすぐそれを「○○」という病気の名づけをしたり、子ども同士の諍いにすぐ介入し解決を早めたりすることは、今の現場で確かに求められてはいるけれど、その行為は子どもや我々からどんな経験を奪っているのか、少し厳しく見つめなおす必要があるのではないか。

 少なくても「生きる力」は、明るく元気にだけで備わるものでないことは、誰でも知っているはずだから。