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好つごうな条件を数える

2010年03月24日 | 読書
 岩波新書(黄版)の再読である。

 『知力と学力』(波多野諠余夫・稲垣佳世子著)を読んだ。
 1984年の発刊であるが、なかなか刺激的であった。書名からだと知力と学力の定義や違いなどが話題になっているように思うが、実はこの副題が内容となっている。

 学校で何を学ぶか 

 日常生活における人の有能さを検証したデータから始まり、そこで学ぶことの限界を提示し、では学校ではどんな能力をのばすことになるのかという本題に迫っていく。
 そこでの結論、見方をもとに、現実の学校における指導のあり方を問うという流れと言っていいだろう。

 学校は一般的知的能力をのばすか、基礎技能を身につけさせるか、理解を深める場であるか…それらの論題に対する結論は、必要条件でもなく、十分条件でもないことが提示されている。
 各種の実験が今となっては多少古さを感じさせるが、納得させられるだけの根拠はある。

 もちろん、それらの提示が学校の有意性を否定するものではない。この書にも、その点は何箇所かにわたって強調されている。つまり学校は

 好つごうな条件をいくつも備えている
 
ということである。

 その「好つごうな条件」を、自分の頭で数え上げてみて、それをどう生かすかという、基本的なことを、今この時期に考えてみることも無意味ではないだろう。